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【カンタン解説】イエスの7つの奇跡

聖書
女性
女性

イエスの7つの奇跡とは何ですか?

 

その意味も教えてください。

キリストさん
キリストさん

分かりました。

 

短く、わかりやすく解説しますね。


この記事を書いているわたしは、クリスチャンの家に生まれ育ち、プロテスタントの牧師になるための神学校を卒業後、約20年間キリスト教会で牧師として働いてきました。

このようなわたしが上記のリクエストにお答えします。

ぜひ、最後までご覧ください。

【カンタン解説】イエスの7つの奇跡とその解釈

イエスの言葉と行ないについての記録である新約聖書のヨハネの福音書には、イエスが行なった以下の7つの奇跡が記されています。

① 水をぶどう酒に変えた奇跡

➁ 役人の息子をいやした奇跡

③ 38年間病気だった人をいやした奇跡

④ 5000人の給食の奇跡

⑤ 湖の上を歩いた奇跡

⑥ 生まれつきの視覚障害者をいやした奇跡

⑦ ラザロをよみがえらせた奇跡

イエスのこれらの奇跡には、霊的な真理を示す目的があります。

その真理とは、イエスが本当は何者であるのか、わたしたちのために何をしてくれるのかということです。

それでは、一つずつ見ていきましょう。

① 水をぶどう酒に変えた奇跡 ヨハネの福音書2:1-11


イエス・キリストは、ガリラヤのカナで行われた結婚式で、六つの水がめに入った水をぶどう酒に変える最初の奇跡を行ないました。

1日だけの現代日本の結婚式とはちがって、約2000年前のユダヤ人の結婚式は一週間にわたって行われました。

お祝いごとにはぶどう酒が欠かせない文化だったため、花婿(はなむこ)は大量のぶどう酒を準備する必要があったのです。

ところが、結婚式のお祝いの最中にぶどう酒が切れてしまいました・・・。

このままでは花婿(はなむこ)は恥をかき、当時の社会では訴えられる危険もあり、新しく夫婦になった二人の喜びは台無しになってしまうところでした。

イエスが水をぶどう酒に変えたのは、そのときだったのです。

7 イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。

8 そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。

9 料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで

10 言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。                                                                                                               (ヨハネによる福音書2章7-10節)

水を一瞬でぶどう酒に、しかも何年も熟成させなければできない良いぶどう酒に変えるなんて、無からこの世界をお造りになった創造主である神以外には不可能な奇跡です。

キリストさん
キリストさん

イエスの生涯の最初の奇跡は、イエスが神の子であることを示しています。

 

そして、人生最大の喜びといわれる結婚式の喜びと同じぐらい、いや、それ以上の救いの喜びをイエスがわたしたちに与えてくれることを教えているのです。

➁ 役人の息子をいやした奇跡 ヨハネの福音書4:46-54


イエスは役人の死にかかっていた息子をいやし、その命を救う奇跡を行ないました。

イエスのうわさを聞いた役人が息子の命を助けてくれるように頼んだときのことです。

50 イエスは彼に言われた、「お帰りなさい。あなたのむすこは助かるのだ」。彼は自分に言われたイエスの言葉を信じて帰って行った。

51 その下って行く途中、僕たちが彼に出会い、その子が助かったことを告げた。

52 そこで、彼は僕たちに、そのなおりはじめた時刻を尋ねてみたら、「きのうの午後一時に熱が引きました」と答えた。

53 それは、イエスが「あなたのむすこは助かるのだ」と言われたのと同じ時刻であったことを、この父は知って、彼自身もその家族一同も信じた。
(ヨハネによる福音書4章50-53節)

イエスは役人の遠く離れていた息子を言葉だけでいやし、命を救いました。

そんなことが可能なのは、神だけです。

イエスの言葉には神の権威と力があります。

キリストさん
キリストさん

神の子、救い主イエスとその言葉を信頼する人は、失望することがありません

③ 38年間病気だった人をいやした奇跡 ヨハネの福音書5:1-9


イエスはエルサレムのベテサダの池のそばで、38年間病気に悩んでいる人をいやしました。

5 さて、そこに三十八年のあいだ、病気に悩んでいる人があった。

6 イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に「なおりたいのか」と言われた。

7 この病人はイエスに答えた、「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」。

8 イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。

9 すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。その日は安息日であった。
                           (ヨハネによる福音書9章5-9節)

イエスの権威には病気も従うのです。

この奇跡もまた、イエスが創造主である神と同じ力を持つ神の子であることを証明しています。

何よりも注目したいのは、イエスが長年病気をわずらっていた人に深い関心を寄せたことです。

エルサレムに住んでいた誰も、長い間病気に苦しんでいたこの人のことを気にかけず、関心を持たず、助けることをしませんでした。

38年病気だった人自身も、なおりたいという意欲をすでに失っていたようです。

しかし、神の子、救い主イエスは、誰も見向きもしなかったこの人に深い関心を寄せ、いやしてくださいました

キリストさん
キリストさん

イエスの偉大な力以上にわたしたちを驚かせるのは、神の子イエスが人間に抱く深い関心と愛ではないでしょうか。

④ 5000人の給食の奇跡 ヨハネの福音書6:1-13


イエスは5つのパンと2匹の魚を奇跡的に増やして、5000人の人々を満腹にさせる奇跡を行ないました。

大勢の人々(男性だけで5000人、女性や子どもたちも含めれば15000人以上)がイエスについてきたときのことです。

人々がお腹を空かせたころ、ある子どもが喜んで差し出した5つのパンと2匹の魚をイエスは用いて、大勢の人々を養う奇跡を行ないました。

9 「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」。

10 イエスは「人々をすわらせなさい」と言われた。その場所には草が多かった。そこにすわった男の数は五千人ほどであった。

11 そこで、イエスはパンを取り、感謝してから、すわっている人々に分け与え、また、さかなをも同様にして、彼らの望むだけ分け与えられた。

12 人々がじゅうぶんに食べたのち、イエスは弟子たちに言われた、「少しでもむだにならないように、パンくずのあまりを集めなさい」。

13 そこで彼らが集めると、五つの大麦のパンを食べて残ったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。                  (ヨハネによる福音書6章9-13節)

この奇跡は「5000人の給食」と呼ばれており、イエスの言葉と行ないを記した4つの福音書の全てに記録されている重要な奇跡です。

神の子イエスがわたしたちを救ってくださり、わたしたちの霊と心と身体を満たし、養ってくださるお方だということを示しています。

イエスご自身がこの奇跡を行なった後で、こう言いました。

イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。(ヨハネによる福音書6:35)

パンがわたしたちの身体の空腹状態を満たしてくれるように、「命のパン」であるイエスはわたしたちの霊と心を満たしてくれるのです。

物質的なパンを食べても、少しすればまたお腹が空きます。

しかし、イエスを信じる人の霊と心は今から永遠に満たされ続けます。

かつてマザーテレサが日本を訪問したとき、物質的に豊かな国である日本にも精神的に飢え渇いている人がたくさんいることを指摘しました。

そして、心の飢えや愛の渇きの方が、食べ物がない飢えよりも、もっと取り除くのが困難であると語りました。

では、この精神的な飢え、愛の渇きは、どのようにして満たされることが可能なのでしょうか。

有名な数学者であり、哲学者のブレーズ・パスカルの言葉がヒントになるでしょう。

パスカル
パスカル

人間の心には、神のかたちをした空洞があります。

それはどんなものによっても満足させられることはできず、ただイエス・キリストを通して知らされた創造主なる神によってのみ満たされるのです。

聖書は、創造主である神が人間をお造りになったと教えています。

わたしたち人間は、神によって神といっしょに生きるようにデザインされました。

ですから、わたしたち人間の心には、神から離れた生まれつきの状態ではポッカリと穴が開いてしまっており、そのため、空しさを感じるのです。

わたしたちはその穴を埋めることのできるだれか、何かを一生懸命(いっしょうけんめい)に探しますが、その穴は神のかたちをしているため、ピッタリとあてはまるものはだれもおらず、何も見つかりません。

神の子イエスを信じ、創造主である神といっしょに生きるときに、わたしたちの心の空しさは初めて、そしていつまでも満たされ続けるのです。

キリストさん
キリストさん

神の子イエスこそ、あなたの霊、心、身体の全てをふくんだ命を、今も永遠に生かす命のパンです。

⑤ 湖の上を歩いた奇跡 ヨハネの福音書6:16-21


イエスはガリラヤ湖の嵐に悩まされ、ピンチであった弟子たちを助けるために、湖の上を歩く奇跡を行なって、弟子たちのもとに行きました。

第4の奇跡(5000人の給食)を見た人々は、超自然的な奇跡を行なう力を持つイエスをローマ帝国に反乱を起こす軍事的なリーダーにしようとしました。

そのため、イエスは一人で山に退き、弟子たちはガリラヤ湖に船を出して、そこを離れようとしたのです。

ところが夜になると、突発的な嵐によってガリラヤ湖は荒れ始めました。

イエスの弟子たちの中にはベテランの漁師もいましたが、絶体絶命のピンチにおちいりました。

イエスが弟子たちを助けるために水の上を歩いて近づいたのは、そのときです。

18 その上、強い風が吹いてきて、海は荒れ出した。

19 四、五十丁こぎ出したとき、イエスが海の上を歩いて舟に近づいてこられるのを見て、彼らは恐れた。

20 すると、イエスは彼らに言われた、「わたしだ、恐れることはない」。

21 そこで、彼らは喜んでイエスを舟に迎えようとした。すると舟は、すぐ、彼らが行こうとしていた地に着いた。                                                    (ヨハネによる福音書6章18-21節)

陸地に一人残ったイエスが水の上を歩いて自分たちを助けに来てくれるなんて、弟子たちは全く期待していませんでした。

ですから、嵐の湖の上にイエスの姿を見たとき、弟子たちは幽霊を見ていると思って、怖がってしまったのです。

イエスはそんな弟子たちに優しく声をかけました。

この奇跡が示していることは、神の子イエスが、

  • 自然界の猛威すら従わせる権威を持っていること
  • どんな厳しい状況でも弟子たちといっしょにいて、いつも弟子たちを見ていて、助けてくれる

ということです。

キリストさん
キリストさん

どんなときにも大丈夫と思えるのは、目には見えなくても神の子イエスがわたしたちといっしょにいてくれるからです。

⑥ 生まれつきの視覚障害者をいやした奇跡 ヨハネの福音書9:1-38


ある日、イエスは生まれつき目の不自由な人をいやす奇跡を行ないました。

残念ながらその頃のユダヤでは、視覚障害は因果応報(いんがおうほう、本人か親がひどい罪を犯したからその罰を受けている)という考えが一般に広まっていました。

そのため、障害者の人々は障害そのもので生活が苦しかっただけではなく、他の人々の差別や偏見にも悩まされていたのです。

イエスの弟子たちも他のユダヤ人と同じ考え方をしていたため、弟子たちが生まれつき目の不自由な人を見かけたとき、本人か両親が罪を犯したからこの人は視覚障害を持って生まれてきたのかとイエスに尋ねました。

しかしイエスは、障害が罪の罰だという見方をきっぱりと否定したのです。

イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。

イエスのこの有名な言葉は、障害を持つあらゆる人たちとその家族の心を解放し、いやしてきました。

イエスは障害の原因ではなく、神のすばらしいみわざが現れるという目的に弟子たちの目を向けさせました。

イエスが生まれつきの視覚障害者の人をいやす奇跡を行なったのは、その後です。

6 イエスはそう言って、地につばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人の目に塗って言われた、

7 「シロアム(つかわされた者、の意)の池に行って洗いなさい」。そこで彼は行って洗った。そして見えるようになって、帰って行った。(ヨハネによる福音書9章6-7節)

悲しいことですが、現代でも障害を持つ人たちを差別する人々は存在します。

イエスが今から2000年も前に、差別や偏見から自由な見方をしたことは驚くべきことです。

さて、イエスのこの奇跡は、イエスがわたしたちに新しい霊的な視力を与えてくれることを示しています。

イエスは、

  • 神について
  • わたしたち人間について
  • 救いについて
  • この世界について
  • 天国と復活と永遠の命について

わたしたちに教え、わたしたちが新しい目(見方)を持つことができるようにしてくれるのです。

たとえば、神の子イエスはわたしたちの心の目を開いて、

  • 創造主がこの世界と人間をお造りになったこと
  • 人間は生まれつき創造主から離れて生きていること
  • しかし神が自分の子どもであるイエスを救い主としてこの世に送るほどわたしたちを愛していること
  • イエスの十字架によってわたしたちの罪がゆるされること
  • 神がわたしたちに天国と復活と永遠の命という素晴らしい未来を用意してくれていること

を教えてくれます。

キリストさん
キリストさん

神の子イエスはわたしたちに新しい霊の目を与え、神が愛であることに気づかせてくれます。

その結果、神に愛されている者として喜んで生きる新しい自分をわたしたちは発見するのです。

⑦ ラザロをよみがえらせた奇跡 ヨハネの福音書11:1-45


イエスは、7つの奇跡のクライマックスとして、愛する友ラザロを死人の中からよみがえらせました。

ある日、イエスの友人ラザロが死にいたる病にかかり、イエスのもとにラザロの姉妹マルタとマリヤから連絡が来ました。

イエスはラザロたちを心から愛しており、死にかかっていたラザロを一瞬でいやす力もありましたが、すぐには駆けつけず、遠くからいやすこともしませんでした。

なぜだったのでしょうか?

その理由は、イエスが神の子であり、人を死から復活させる力を持っていることをラザロをよみがえらせることで示すためだったのです。

イエスはラザロの姉妹マルタにこう言いました。

25 イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
イエスは墓に葬られて4日経っていたラザロをよみがえらせることで、自分が人を復活させる力を持っていることを証明しました

43: こう言いながら、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた。

44 すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。イエスは人々に言われた、「彼をほどいてやって、帰らせなさい」。                                                                                                                                 (ヨハネによる福音書11章 25, 43-44節)

人間は、遅かれ早かれいつかは死にます。

しかし神の子イエスは、わたしたちを死からよみがえらせ、永遠の命を与えてくれるのです。

キリストさん
キリストさん

生まれた瞬間から死に向かっているわたしたちの希望は、神の子イエスにあります。

まとめ


最後までお読みくださり、ありがとうございました。いかがでしたか。

この記事では、イエス・キリストが行った7つの偉大な奇跡について解説してきました。

イエスの奇跡は、イエスが神の子、救い主だという霊的な真理を示すものでした。

神の子イエスこそ、わたしたちの心を今も永遠に満たすことのできるただ一人のお方です。

イエスにはわたしたちの身体をよみがえらせる力があり、わたしたちの心と身体の両方を永遠に救うことができます。

昔も今も多くの人々がイエスを信じ、この世界の他の人やものでは得られない心の喜びと満足、天国と復活の希望をイエスから与えられてきました。

あなたもイエスを信じてみませんか?

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