
好きな漫画やアニメで七つの大罪のテーマが取り上げられているので、前から気になっていました。
キリスト教と関係しているって聞いたのですが、聖書は七つの大罪について何を教えていますか?

分かりました。
今回は聖書が七つの大罪について何を教えているのかをお話します。
この記事を書いているわたしは、クリスチャンの家に生まれ育ち、プロテスタントの牧師になるための神学校を卒業後、約20年間キリスト教会で牧師として働いてきました。
このようなわたしが上記の質問にお答えします。
ぜひ、最後までご覧ください。
【徹底解説】聖書は七つの大罪について何を教えているのか?
七つの大罪の一覧
七つの大罪とは、人間に実際の罪を犯させる可能性がある欲望や感情のことを指します。
七つの大罪は、以下の通りです。
① 嫉妬 (しっと)
➁ 傲慢 (ごうまん)
③ 怠惰 (たいだ)
④ 憤怒 (ふんぬ)
⑤ 強欲 (ごうよく)
⑥ 色欲 (しきよく)
⑦ 暴食 (ぼうしょく)
聖書はこれらの七つの大罪のそれぞれについて、次の箇所などで教えています。
①嫉妬 (しっと)
嫉妬とは、他の人の成功や自分よりも優れているところをうらやましがり、その人が失敗したり、運が悪くなることを願う感情です。
(ガラテヤ人への手紙5:26)
➁ 傲慢 (ごうまん)
傲慢とは、自分が他人よりも優れていると自負し、自己の優越感に浸っている状態を指します。
つまり、自分を控えめに見るという謙虚さが欠けている状態とも言えます。
(箴言11:2)
③ 怠惰 (たいだ)
怠惰とは、何もせずにだらだらと過ごすことです。
(箴言10:4)
④ 憤怒 (ふんぬ)
憤怒は、怒りや腹立たしさを感じることです。
(詩編37:8)
⑤ 強欲 (ごうよく)
強欲とは、お金や物質的なものへ過度に執着し、何が何でも自分の欲望を満たそうとすることです。
(テモテへの手紙一6:10)
⑥ 色欲 (しきよく)
色欲は、性的な欲求にとらわれることです。
⑦ 暴食 (ぼうしょく)
暴食は、食べ物や飲み物に執着することです。
(箴言23:21)
聖書は何を教えているのか?
聖書が嫉妬、傲慢、怠惰、憤怒、強欲、色欲、暴食について教えているのは、上記の引用からも明らかです。
ただ、聖書はこれらの7つの罪を「七つの大罪」として分類していません。
他の罪よりも悪いと語ってはいないのです。
そして、七つの大罪は罪の重い順番に嫉妬から暴食まで並んでいるとよく言われますが、聖書自体はそう教えてはいません。
実はそもそも、七つの大罪(英:seven deadly sins)はローマカトリック教会の用語で、プロテスタントは嫉妬、傲慢、怠惰、憤怒、強欲、色欲、暴食を七つの大罪として特別視してはいないのです。
神からわたしたちを永遠に引き離す「ゆるされない罪」として、聖書が教えているただ一つの罪は、イエス・キリストが語った「聖霊に言い逆らう」罪しかありません。
「31:だから、言っておく。人が犯す罪や冒瀆は、どんなものでも赦される。しかし、霊に対する冒瀆は赦されない。
32:また、人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも来るべき世でも赦されることはない。」 (マタイによる福音書12:31-32)
この「聖霊に言い逆らう罪」は、今回取り上げた七つの大罪と直接関係がないため、ここではこれ以上触れません。
七つの大罪の由来
では、聖書に由来するのでないなら、七つの大罪はどこから出てきたのでしょうか?
七つの大罪の起源について語るとき、最初にあげられるのは4世紀のエジプトの修道士、エヴァグリオス・ポンティコスの著書『修行論』です。
この著書では、「人間一般の想念」として八つの要素があげられています。
次に重要な時期は5世紀の初頭(420年-430年頃)で、この時期にカッシヌアスがポンティコスの八つの要素を「八つの主要な悪徳」という概念でラテン語圏に広めました。
そして、6世紀の後半、グレゴリウス1世(540年頃-604年)が罪のリストを整理しました。
さらに13世紀のトマス・アクィナス(1225年-1274年)が、彼の著作の中で、キリスト教徒の「七つの枢要徳」に対比する形で「七つの枢要悪」を列挙したのです。
これらの歴史的な出来事が、「七つの大罪」の概念を形成していったと考えられています。
七つの大罪を取り上げた作品(アニメ、漫画、小説、映画など)
ここで七つの大罪がモチーフとなっているアニメ、漫画、小説、映画をご紹介します。
七つの大罪
『七つの大罪』は、人間と他の生物が共存する幻想的な世界、リオネス王国を舞台に描かれたアニメ作品です。
物語は、リオネスの王女であるエリザベスが、彼女の国を救うために伝説の犯罪者「七つの大罪」を見つけ出す冒険に踏み出すところから始まります。
彼女は、メリオダスという名の居酒屋の店主と出会い、彼が「七つの大罪」のリーダーであることを発見します。
そして、二人は他のメンバーを探し出すための旅に出発するのです。
このアニメのモチーフは、キリスト教の教えである「七つの大罪」です。
各主要キャラクターは、この「七つの大罪」の一つと関連付けられており、その罪がキャラクターの性格や行動に影響を与えています。
たとえば、主人公のメリオダスは「憤怒」を、ディアンヌは「嫉妬」を象徴しています。
原作の漫画は、2012年から2020年まで「週刊少年マガジン」(講談社)で連載された、鈴木央による『七つの大罪』(全41巻)です。
2015年には第39回講談社漫画賞・少年部門を受賞している魅力的な作品であるため、関心のある方は読んでみてはいかがでしょうか。
Re:ゼロから始める異世界生活
『Re:ゼロから始める異世界生活』は、異世界へと転送された引きこもりの高校生ナツキ・スバルが、死亡する度に時間を巻き戻すという特異な力を駆使して試練を乗り越える物語です。
この物語の舞台となる世界には、「魔女教」と名乗る集団が存在し、彼らは嫉妬の魔女サテラを崇拝しています。
そのリーダー格である「大罪司教」たちは、それぞれが七つの大罪の名を持ち、独自の能力を発揮します。
彼らの究極の目標は、サテラの復活であり、その達成のためにスバルとその仲間たちは数々の困難に立ち向かうこととなるのです。
このアニメは、スバルが死に戻りの力を活用し、二人のヒロインであるエミリアやレムなどの仲間と共に運命に抗いながら冒険を続ける様子を描いています。
原作は長月達平による日本のライトノベル『Re:ゼロから始める異世界生活』で、2023年3月時点で1300万部突破の大ヒット作です。
興味のある方は、一度読んでみてはいかがでしょうか。
セブン
『セブン』は、デヴィッド・フィンチャーの巧みな演出により、1995年にアメリカで公開されたサスペンス映画の金字塔です。
この映画は、キリスト教の教義である「七つの大罪」を独特な視点で描き出し、一連の残虐な事件とそれを解決しようとする刑事たちの戦いを描いています。
二人の名優ブラッド・ピットとモーガン・フリーマンが、若く情熱的な刑事と冷静沈着なベテラン刑事を見事に演じています。
犯罪者は「七つの大罪」を元に犯行を重ね、刑事たちはその謎を解き明かそうと奮闘するのです。
この映画は、その独特なストーリーテリングと衝撃的な結末で全米を席巻しました。
七つの大罪とイエス・キリスト

自分も知らないうちに七つの大罪を犯していないかな?
わたしたちが七つの大罪について聞くとき、こんな不安を誰もが感じるのではないでしょうか?
聖書自体は嫉妬、傲慢、怠惰、憤怒、強欲、色欲、暴食を七つの大罪と分類してはおらず、他の罪よりも悪いと教えてもいないと、すでにお伝えしました。
それでも、きっと不安が二つの理由で残るでしょう。
第一に、わたしたちはみんな、少なくとも時々は、いわゆる七つの大罪のいくつかを犯しているからです。
たとえば、友人や職場の同僚が魅力的な条件の人と結婚したとき、新しい家や車を購入したとき、成功や実績を上げたときなどに、うらやむことがあるでしょう(嫉妬)。
自分は優れていると思って優越感にひたったり、人を見下したりしたことが一度もない人がいるでしょうか(傲慢)。
今日やるべきことを先延ばしにしたり、やるべきことをやらずに怠けてしまったりすることが誰しもあるでしょう(怠惰)。
一度も怒ったことがない人がいるでしょうか(憤怒)。
お金、モノが欲しくて仕方がないという欲深い思いを抱いたことがない人がいるでしょうか(強欲)。
魅力的な異性の容姿にひかれて、性的欲求を刺激されることだって、誰しもあるでしょう(色欲)。
クリスマスやお祝いごとで過食をしてしまった経験もあるのではないでしょうか(暴食)。
わたしたちが日常で七つの大罪を犯している例をあげれば、きりがありません。
第二に、聖書がこれらの欲望や感情を七つの大罪だと教えていなくても、嫉妬、傲慢、怠惰、憤怒、強欲、色欲、暴食は悪い欲望や感情だと、わたしたち自身が知っています。

果たしてこんな悪い思いを内に秘めている自分は、何か罰を受けないかな?
そう不安に思ってしまうのではないでしょうか。
安心してください。
わたしたちが七つの大罪を犯していても、それらの罪は完全にゆるされます。
何の根拠や理由もなしに言っているのではありません。
先ほど引用したイエス・キリストの言葉をもう一度取り上げます。
聖書はイエスが神の子、救い主だと教えています。
神ご自身であるイエスが、こう保証してくれているのです。
では、どうしてわたしたちの犯す悪い欲望や感情が全部ゆるされるのでしょうか?
そもそも、そんなに悪くないからでしょうか?
いいえ、実際に行動化した罪だけではなく、言葉で人を傷つけることも、心の中の悪い思いも悪いことには変わりありません。
わたしたち自身の良心も、時々わたしたちが悪い欲望や感情を抱くと気づいているはずです。
先ほど色欲に関して引用した言葉を再び紹介します。
これはイエスが語った言葉です。
実際に行なった性的な罪だけではなく、その源である心の悪い欲望も罪だと、イエスは語りました。

でも、心の中ではみんな好き勝手なことを想像しているだろうし、法律にだって触れていません。
そう思うかもしれませんが、わたしたち自身の良心も心の底ではイエスに同意し、悪い欲望や感情だということを認めているでしょう。
それでは、なぜ嫉妬、傲慢、怠惰、憤怒、強欲、色欲、暴食は悪い欲望や感情であるのにゆるされるのでしょうか?
どうしてイエスはこれらの悪い欲望や感情がゆるされると語ったのでしょうか?
そのわけは、わたしたちの悪い欲望や感情、いわゆる七つの大罪を犯した罪の罰をイエス自身が引き受けてくれたからです。
聖書はイエスがわたしたちの罪のために十字架で死んだと教えています。
イエスは罪のない人、いわば真っ白な存在でした。
真っ白なイエスがわたしたちの心の醜く、汚い欲望や感情の真っ黒なかたまりを全部背負い、いわば真っ黒になって、十字架の上でわたしたちの犯した罪の罰を身代わりに受けて、死んでくださったのです。
聖書は、イエスがしてくれたことのおかげで、わたしたちの罪が神の前に完全にゆるされると教えています。

「こんな悪いことを考えているんだから、罰を受けるんじゃないか?」と恐れる必要はもうありません。
神にゆるされ、受け入れられ、愛されている人として生きることができます。
そして、神とイエスに愛されて生きてゆく中で、嫉妬、傲慢、怠惰、憤怒、強欲、色欲、暴食からも少しずつわたしたちは解放されていくのです。
七つの大罪について調べて、このブログをお読みくださったあなたにおすすめしたいことがあります。
七つの大罪を犯した罰と七つの大罪の力からわたしたちを救い、解放してくれるのは、神の子イエスです。
あなたもイエスを救い主と信じてみませんか。
まとめ
最後までお読みくださり、ありがとうございました。いかがでしたか。
この記事では、
- 聖書は七つの大罪について何を教えているのか?
- 七つの大罪の由来
- 七つの大罪を取り上げた作品(アニメ、漫画、小説、映画など)
- 七つの大罪とイエス・キリスト
について解説してきました。
聖書は、嫉妬、傲慢、怠惰、憤怒、強欲、色欲、暴食を七つの大罪として分類してはいないとお伝えしました。
ただし、それだけではわたしたちの不安はなくならないでしょう。
わたしたち自身がいわゆる七つの大罪を日常の中で犯し、「何か罰を受けないかな?」と不安を感じているからです。
七つの大罪を犯している罰と、七つの大罪の悪い欲望や感情のコントロールからわたしたちを解放してくれるのは、神の子、救い主イエスただ一人です。
七つの大罪の悪い欲望や感情を抱くありのままのわたしたちをイエスは愛し、わたしたちを救うために十字架で命を捨ててくれました。
そのおかげで、わたしたちの罪はゆるされ、イエスの愛によってわたしたちは七つの大罪の恐ろしい欲望や感情からじょじょに自由にされてゆけるのです。
あなたもイエスを救い主と信じてみませんか。
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