ミケランジェロのダビデ像やイスラエル国旗に描かれたダビデの星のダビデって、どんな人で、何をしたのですか?
こんな疑問にお答えします。
✔本記事の内容
- ダビデの生涯【カンタンに紹介】
- ダビデとイエス・キリストの関係
- ダビデ像、絵画、ダビデの星の紹介
✔本記事の信頼性
- 筆者は、クリスチャン歴40年以上
- 約20年間の牧師としての経歴
- キリスト教の主な著作を読んで得た知識
この記事を読むと、ダビデは誰で、どんなことをした人なのかがざっくりと分かります。
カンタンに解説しますので、ぜひ、最後までご覧ください。
ダビデ像のダビデって、どんな人?何をしたの?【ざっくり解説】
ダビデは旧約聖書に登場する人物で、イスラエルの2代目の王です。
英語ではDavid(デイヴィッド)と言います。
ダビデとゴリアテの戦いは、試合で格下が格上に勝利することを意味する言葉『ジャイアントキリング』の由来として知られています。
新約聖書を読んだことがあるなら、イエス・キリストが『ダビデの子』と呼ばれていることにも気づいたかもしれません。
ダビデは旧約聖書の時代の人ですが、実は新約聖書を理解する上でも欠かせない超重要人物なのです。
ダビデの生涯をカンタンに紹介
少年時代
ダビデは、旧約聖書『ルツ記』に登場するモアブ人女性ルツとイスラエル人ボアズの「ひ孫」です。
ベツレヘムに生まれ育ち、少年時代には羊飼いとして父エッサイの羊の番をしていました。
預言者サムエルによってイスラエルの次の王となるべく油注がれたのは、その頃のことです。
ダビデは琴が上手であったため、サウル王に召し抱えられることとなりました。
ジャイアントキリング
イスラエルとペリシテ人の戦争の真っ最中に、ダビデは身長約2.9mの巨人ゴリアテがイスラエルを挑発するのを耳にします。
ダビデは勇敢にもゴリアテと戦い、投石によってゴリアテの額を打ち、初代ジャイアントキリング(巨人殺し)となりました。
ダビデがゴリアテに勝ち、ゴリアテの剣で首を切った場面は、カラヴァッジョなどの西洋の画家によって描かれています。
ダビデがゴリアテと戦った時の年齢は正確には分かりませんが、まだ若かったのは確かです。
ダビデはサウル軍の隊長となっていき、ペリシテ人との戦いに勝利していきました。
ダビデ、サウルに命をねらわれる
サウル王との良好な関係は長続きしませんでした。
「サウルは千を撃ち殺し、ダビデは万を撃ち殺した」と人々が歌うのを聞いたサウロは、嫉妬(しっと)で怒り狂い、ダビデの命をねらうようになったのです。
しかし、サウル王の息子ヨナタンは、ダビデが自分の王位継承を脅かす存在であったにもかかわらず、自分のようにダビデを愛し、苦境にあったダビデを励まし、助けました。
ダビデとヨナタンの友情は、聖書の中に描かれている最も美しいストーリーの一つです。
ダビデはヨナタンがサウル王と共にペリシテ人との戦いで死んだのを聞いた時、その死を嘆き、「あなたがわたしを愛するのは世の常のようでなく、女の愛にもまさっていた。」(サムエル記下1:26)と歌ったほどでした。
荒野の放浪時代
サウルに執拗(しつよう)に命を狙われたダビデは、逃避行を続け、荒野を放浪しました。
ダビデはある時は狂ったふりをしたり、敵国ペリシテに身を寄せたりしながら、自分と家族、仲間たちを守らなくてはならなかったのです。
逆にサウルに復讐できる機会が二度もありましたが、ダビデは決して自分で復讐せず、神に全てを任せました。
このような訓練期間を経て、サウル王の死後、まずダビデはユダの王となりました。
そして、サウル王の息子イシボセテとの戦いを経て、統一イスラエル王国の王となり、イスラエルを40年間治めたのです(紀元前1000年〜961年頃まで)。
イスラエル王ダビデ
王となったダビデはエルサレムを攻め取り、イスラエル王国の都としました。
そしてダビデは、何十年も放置されていた契約の箱(当時神が共にいることの目に見える象徴でした)を首都エルサレムに運びます。
神を中心とした国家を形成しようとしたダビデの聖なる志の現れでした。
ダビデは神のためにエルサレムに神殿を建てる志も持ちました。
神殿建設事業は、神ご自身のご意志によって、ダビデの子ソロモンに任されることとなり、ソロモン王の時代に完成することとなりますが、ダビデの神への熱心さを示しています。
ウリヤの妻バテシバ事件
ダビデは神の御心を求める偉大な王でしたが、大きな過ちを犯したこともありました。
自分の軍隊が戦場に行っている時、ダビデは部下ウリヤの妻バテシバと性的な関係を持ちました。
バテシバが妊娠したことを知ったダビデは、隠ぺいするために最終的にはウリヤを最前線に送って戦死させてしまったのです。
神は預言者ナタンを送ってダビデの姦淫と殺人の罪を指摘し、ダビデは自分の罪を悔い改めます。
この時のダビデの悔い改めはダビデが作った詩篇51篇として今にまで残されています。
神よ、あなたのいつくしみによって、わたしをあわれみ、あなたの豊かなあわれみによって、わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。
わたしの不義をことごとく洗い去り、わたしの罪からわたしを清めてください。
神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。
神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。 (詩篇51:1-2, 10, 17)
アブサロムの反逆事件
ダビデは偉大な信仰者でしたが、子育てに関しても模範的とは言えませんでした。
長男アムノンが異母弟アブサロムの妹タマルを辱(はずかし)め、アブサロムがそのアムノンを殺害したのです。
そして、ダビデ家のこの黒歴史は、そこで終わりませんでした。
アブサロムがダビデに反逆し、イスラエル王国全体を巻き込み、揺るがすクーデターへと発展していったのです。
その結果、ダビデはもう一人の息子アブサロムも失うこととなってしまったのでした。
ダビデの信仰
旧約聖書『詩篇』は神へささげる賛美と感謝と信仰の歌ですが、全150篇のうち73篇にダビデの名前が付けられ、ダビデ作と考えられています。
若い頃から琴の名手であったダビデは自ら詩篇を作ったばかりではなく、神礼拝を組織化して絶えず神に賛美がささげられるようにしました。
ダビデは、上記の通り、波乱万丈の人生を送りましたが、その生涯を通じて神を信頼し続けました。
もちろん、バテシバ事件や子育ての致命的な失敗に見られるように、ダビデは完全な人ではなく、わたしたちと同じく弱さを持ち、失敗や過ちを犯す人でもあります。
しかしダビデはいつも神の恵みによって生かされ、醜い罪を犯した時も神のあわれみにすがって悔い改め、どんなにピンチな状況でも神に頼って乗り越えてきた信仰の人であったのです。
神に愛され、神を信頼して生きたダビデは、苦しみも経験しましたが、真に幸いな人生を生きたと言えるでしょう。
神と神を信じる人の関係を羊飼いと羊にたとえて描いた詩篇23篇は、聖書全体で最も愛されている箇所の一つであり、欧米では葬儀の際にもよく読まれます。
神に愛され、神を信頼して生きる人生の幸いを最も良く表現しています。
ダビデの歌
主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。 (詩篇23:1-6)
ダビデとイエス・キリストの関係
旧約聖書のダビデと新約聖書で登場するイエス・キリストにはどんなつながりがあるのでしょうか。
ダビデ契約
旧約聖書のサムエル記下7章で、神はダビデの子孫から王が生まれると約束しました。
あなたが日が満ちて、先祖たちと共に眠る時、わたしはあなたの身から出る子を、あなたのあとに立てて、その王国を堅くするであろう。
彼はわたしの名のために家を建てる。わたしは長くその国の位を堅くしよう。
あなたの家と王国はわたしの前に長く保つであろう。あなたの位は長く堅うせられる』」。
(サムエル記下7:12-13, 16)
神がダビデにしたこの約束を「ダビデ契約」と言います。
ダビデの子ソロモンの時代にイスラエルの王国は繁栄を極めます。
しかし、ソロモンの子レハベアムの時代に南北に分裂してしまうのです。
そして、北イスラエル王国は紀元前721年にアッシリア帝国に滅ぼされ、南ユダ王国は紀元前586年に新バビロニア帝国に滅ぼされてしまいました。
この世の見える王国が衰退し、滅んでゆく中で、神の民イスラエルは一つの希望を抱くようになってゆきます。
神がいつかダビデの子孫から「ダビデのような王、救い主」を送ってくださるという希望です。
こうして「ダビデの子」は、イエス・キリストが歴史の舞台に登場する紀元1世紀までには、神がやがて送ってくださる救い主を意味するようになっていたのです。
ダビデの子イエス・キリストの系図
新約聖書の第1ページを開くと、こう記されています。
アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。(マタイによる福音書1:1)
「イエス・キリストは『ダビデの子』、つまり、神がダビデに約束していた『王、救い主』です」と、新約聖書は1ページ目からはっきりと宣言しています。
そして、実際にイエス・キリストがダビデの子孫として生まれたことを証明する家系図を記しているのです。
イエスとダビデの違い~罪からの救い~
ただ、イエス・キリストとダビデには違いもあります。
かつてダビデは軍勢を率いてイスラエルの民(ユダヤ人)をペリシテ人から政治的・軍事的に解放し、イスラエルの王国を築きました。
ローマ帝国の支配下にあった紀元一世紀のユダヤ人は、ダビデの子である救い主がダビデのように自分たちを圧政から解放してくれると期待していました。
しかし、イエスがこの世に来たのは、一つの民族を力づくで政治的・軍事的に解放するためではなく、自らの命を十字架で犠牲とすることによって、地球上の全ての民族をローマよりもっと恐ろしい罪と死と悪魔から救い出すためだったのです。
ダビデ像、絵画、ダビデの星の紹介
ダビデに関する芸術作品やシンボルなどを紹介・解説いたします。
ダビデ像
ルネサンス期の巨匠ミケランジェロ・ブオナローティは、1501年から1504年にかけて5m以上(517cm)もあるダビデ像を制作しました。
現在、ダビデ像はイタリアのフィレンツェにあるアカデミア美術館に収蔵されています。
ちなみにダビデ像の目は、ルネサンス期の芸術的表現の一例として、瞳がハート型にかたどられていることが知られています。
そして、ダビデ像は旧約聖書の巨人ゴリアテとの戦い直前の緊迫したシーンを描いており、ダビデは石投げを左肩にかけ、ゴリアテに狙いを定めていると言われているのです。
ダビデとゴリアテの話を知った後だと、さらにダビデ像を楽しめますね。
ダビデの関連絵画
ダビデに関連した絵画を3点ご紹介いたします。
ルーベンスは、ダビデがゴリアテの首をまさに切り落とそうとしている場面を描いています。
カラバッジョ作「ゴリアテの首を持つダビデ」の別バージョンです。
若きダビデが憂いに満ちた表情で巨人ゴリアテの頭部を見つめている作品であり、この絵画に描かれているゴリアテの顔はカラヴァッジョ自身の自画像と言われています。
ダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴を描いたレンブラントの作品です。
ダビデの星
ダビデの星は、ユダヤ教およびユダヤ民族を象徴するシンボルで、2つの正三角形を重ねた六芒星(ヘキサグラム)の形をしており、イスラエル国旗にも描かれています。
ダビデの星は、旧約聖書に登場するダビデ王に由来するとされていますが、歴史的な証拠は不明です。
中世からユダヤ人のシンボルとして広まり、19世紀にはシオニズム運動(ユダヤ人国家建設運動)のシンボルとしても使われ始めました。
第二次世界大戦中、ナチスドイツはユダヤ人を識別するために黄色のダビデの星の着用を義務化し、虐殺したため、ホロコーストの象徴ともなっています。
ちなみに、野菜のオクラにはダビデの星と呼ばれる品種があり、その断面が六芒星の形をしていることからこの名前が付けられました。
一般的なオクラよりも太く、断面が星形になっているのが特徴です。
収穫時期にはオンラインで入手可能であったり、種を購入して自分で育てたりできるようですので、気になった方は、購入してみてはいかがでしょうか。
まとめ:神に愛され、神を信頼して生きてゆきましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。いかがでしたか。
この記事ではダビデについて、
- ダビデの生涯【カンタンに紹介】
- ダビデとイエス・キリストの関係
- ダビデ像、絵画、ダビデの星の紹介
を解説してきました。
ダビデの生涯についてざっくり分かっていただけたことでしょう。
ダビデは、
- ペリシテ人の巨人ゴリアテと戦って勝利し、サウル王に命を狙われつつも、やがてイスラエルの2代目の王となりました。
- バテシバ事件や子育てで失敗もしましたが、生涯を通して神に愛され、ダビデ自身も神を信頼し、神の御心を求めて生きました。
- そして、ダビデの子孫として、救い主イエス・キリストが生まれたのです。
神に愛され、神を信頼して生きる人生は素晴らしいです。
創造主はあなたのことも愛しておられ、あなたの人生を共に歩もうとしておられます。
あなたもダビデの子として生まれた救い主イエス・キリストを信じて、今から永遠に神と共に歩む幸いな人生を送ってみませんか。
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