モーセの十戒って何ですか?
どんな内容が教えられているんですか?
こんな疑問にお答えします。
✔ 本記事の内容
- モーセの十戒(じっかい)とは何か?そもそもモーセとは誰なのか?
- 十戒の10のルールの内容の解説
- 十戒とイエス・キリストの関係
- 映画『十戒』の紹介
✔ 本記事の信頼性
・約20年間の牧師としての経歴
・キリスト教の主な著作を読んで得た知識
この記事を読むと、十戒の内容がわかります。
カンタンに解説しますので、ぜひ、最後までご覧ください。
モーセの十戒とは?【十戒の内容のわかりやすい解説】
モーセの十戒(じっかい)とは、神が旧約聖書の時代のイスラエルの民(ユダヤ人)に与えた10のルールです。
十戒は前半(第一戒〜第四戒)と後半(第五戒〜第十戒)に分けることができます。
◎ 第一戒~第四戒は、神との関係で守るべきルール
◎ 第五戒~第十戒は、人との関係で守るべきルール
十戒とそのおおまかな内容は以下の通りです。
第一戒 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
→創造主だけを礼拝すること
第二戒 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。
→正しい礼拝の方法
第三戒 あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。
→神の名をきよく使うこと
第四戒 安息日を覚えて、これを聖とせよ。
→神礼拝と休息の日
第五戒 あなたの父と母を敬え。
→親を敬うこと
第六戒 あなたは殺してはならない。
→殺人の禁止と命の大切さ
第七戒 あなたは姦淫してはならない。
→性の純潔と結婚の神聖さ
第八戒 あなたは盗んではならない。
→盗みの禁止と勤労
第九戒 あなたは隣人について、偽証してはならない。
→うその禁止と真実を語ること
第十戒 あなたは隣人の家をむさぼってはならない。
→自分の状況に満足し、感謝すること
詳しい内容はこの後で解説していきます。
モーセの十戒の歴史的背景
神がモーセを通してイスラエルの民(ユダヤ人)に十戒を与えた歴史的背景を解説します。
モーセとはー出エジプトの指導者ー
モーセは、イスラエルの民(ユダヤ人)をエジプトの400年の奴隷状態から解放するために神が送った指導者です。
今から三千数百年前、イスラエルの民は、エジプトで400年間奴隷となっていました。
神はイスラエルの民の苦しみの叫びを聞き、彼らを解放するために、モーセをエジプトの王パロのもとに送りました。
エジプトの王パロはイスラエルの民を去らせることを頑固にこばみましたが、神がモーセを通して「10の災い」を行うと、ついにパロはイスラエルの民がエジプトから出ることを認めたのです。
すぐに心変わりし、紅海のほとりにいたイスラエルの民に襲いかかってきたパロでしたが、神は海の水を真っ二つに割って道を作り、イスラエルの民が無事に海の中を渡れるようにし、追いかけてきたパロとその軍勢を海の水に飲みこませました。
十戒の授与ーイスラエル(ユダヤ人)は神の民となったー
エジプトの王パロの軍勢から救い出されたイスラエルの民(ユダヤ人)は、神に導かれて荒野を旅しました。
神はイスラエルの民がシナイ山に着くと、十戒の言葉を直接彼らに語ったのです。
そして、神はモーセを通してイスラエルの民と契約を結び、イスラエルの神となり、イスラエルの民は正式に神の民となったのです。
その後、神はモーセを呼び寄せ、十戒の記された2枚の石板を授けました。
元々、十戒は、神の民イスラエルが守るべきルールだったのです。
神の民イスラエルの歴史をふくんだ旧約聖書の歴史に関心のある方は、ぜひ、この記事もお読みください↓↓
モーセの十戒のそれぞれの戒めの解説
それでは、十戒のそれぞれの戒めを解説しましょう。
第一戒 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
イスラエルの民(ユダヤ人)は神によって奴隷状態から救われ、神と契約を結び、神の民となりました。
いわば神と結婚したイスラエルの民は、結婚した夫婦が不倫してはいけないように、他の神々を礼拝することが禁じられたのです。
では、第一戒はイスラエルの民だけに関係しているのかというと、そうではありません。
創造主がわたしたち人間を造ったと、聖書は教えています。
つまり、わたしたちは神といっしょに生きるときに真に心満たされるようにデザインされているのです。
ところが、現実にはカルトや迷信によって苦しめられたり、神以外の誰か、何か(成功、容姿、健康、お金、お酒、薬物など)に過度に執着(しゅうちゃく)し、依存(いぞん)し、まるで神であるかのように仕えて、奴隷のようになることがあります。
わたしたちを愛してやまない創造主は、ただ一人の本当の神だけを礼拝することで、わたしたちが人間本来の自由と喜びを取り戻し、真に幸せに生きることをお望みになっているのです。
今あなたを縛(しば)りつけ、苦しめているものがありますか?
神はあなたを尊厳(そんげん)を持つ存在にお造りになりました。
創造主のもとに帰るときに、わたしたちは自分の価値を再発見し、祝福された人生を送ることができます!
第二戒 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。
(出エジプト記20:4-5)
神はわたしたちの目の前に広がる世界と、その中に生きる人間や動物のすべてを造った偉大な創造主です。
神は身体を持たず、目に見えないからこそ、わたしたちのように物理的な空間に束縛(そくばく)されることなく、いつでも、どこにでもいます。
ですから、わたしたちはいつでも、どこでも神に祈り、礼拝をささげることができるのです。
それなのに、偉大な創造主の像(ぞう)を木や石で作って、ある特定の場所に置き、そこでだけ拝むことは、とんでもなく愚(おろ)かで、神を馬鹿(ばか)にする行いです。
この点で、イスラエルの民も大失敗し、目に見えない神を礼拝するために「金の子牛」を作る罪を犯しました。
金の子牛の光景を見たモーセは怒りと失望で十戒の2枚の石板を粉々に破壊し、後で石板をもう一回作り直すことになったのです。
残念ながら、自分の願いをかなえてもらうために神の像を作り、神をコントロールしようとする傾向がわたしたち人間にはあります。
しかし、わたしたちを超えた偉大な創造主を礼拝するときには、心から敬(うやま)う思いをもって、神にふさわしい礼拝をささげる必要があるのです。
キリスト教には、そこでしか神に祈れなかったり、礼拝できなかったりする特定の場所は存在しません。
ぜひ、聖書を読んで、偉大な創造主を知り、神に祈ってみてください。
あなたを造り、あなたを愛している神は、あなたの声を聞くのを楽しみにしていますよ!
第三戒 あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。
(出エジプト記20:7)
第三戒は、神の名前の悪用を禁止しています。
そもそも、神がわたしたち人間に自分を現したのは、わたしたちが神に祈りの中で呼びかけたり、礼拝をささげることができるためです。
わたしたちを愛する創造主は、わたしたちと交流したいのです。
神の名前を本来のきよい目的から離れて悪用する人は、厳しく罰せられると警告されています。
外国では、何か不愉快(ふゆかい)なことや悪いことが起こると、神やイエス・キリストの名前を口にすることがあり、日本人でもそれを真似する人がいます。
代表的なのが、「Oh my god !(オーマイガッ!略して、OMGもよく使われています)」です。
しかし、何か不愉快なことや悪いことが起こるたびに、わたしたちの大切な家族の名前を不機嫌な口調で誰かが口にするのを耳にしたら、わたしたちはどういう気持ちになるでしょうか?
たとえば、わたしの母の名前が「Kyoko」だとして、何か嫌なことが起こるたびに、「Kyokoめ!」と、わたしの母の名前をイライラした口調で口にする人がいたら、わたしはものすごく嫌な思いをするでしょう。
日本人は無神論(神の存在を否定したり、信じない人)が増えていますが、外国にはキリスト教徒やイスラム教徒をはじめ、神を信じている人がたくさんいます。
もちろん、日本にだって神を信じている人は多くいます。
神を信じない人には分かりづらいかもしれませんが、神を信じる人にとって、神は家族と同じように大事な存在です。
アブナイ意味ではなく、家族以上に大事かもしれません。
信教の自由は、すべての人間が持っている人権の一部ですから、他の人が大切にしているものを軽んじるような発言はひかえるのがよいでしょう。
あなたの創造主は、『神さま』とあなたが呼びかけるのを待っています。
悪用は厳禁ですが、ぜひ、積極的に神に祈ってみてくださいね!
第四戒 安息日を覚えて、これを聖とせよ。
(出エジプト記20:8-11)
イスラエルの民は週に6日間働いた後は、7日目には休息し、神を礼拝することを求められました。
これが十戒の第四戒の「安息日(あんそくにち)」です。
創造主が6日間で世界を創造し、7日目に休まれたように、イスラエルの民は労働と休息の健全なリズムの中で生活しました。
その結果、イスラエルの民は、安息日にゆっくりと身体を休めることができて、神を礼拝することで心と霊もリフレッシュし、新しい一週間の労働のための力を得ることができたのです。
安息日制度は、召使いや、牛などの家畜にとっても、休息のときとなりました。
安息日には、わたしたち人間や生きとし生けるものへの創造主の優しい思いやりが表れています。
過労死する方、働き過ぎで心病む方がいるように、現代のわたしたちにとっても、労働と心身の休息の健全なバランスは不可欠です。
ぜひ、あなたも定期的に休みを取って身体を休めつつ、聖書を読んだり、神を礼拝することによって魂の安らぎを得てください。
神に造られた人間の真の休息は、神を礼拝することにあります。
ですから、クリスチャンたちは毎週神を礼拝しているのです。
気分転換にもなりますし、ぜひ、ググって、お近くのキリスト教会に足を運んでみてください。
お問い合わせフォームからご相談いただければ、わたしも喜んで教会探しをお手伝いします。
第五戒 あなたの父と母を敬(うやま)え。
(出エジプト記20:12)
第五戒からは、人との関係で守るべきルールです。
最初に来るのは、両親を尊敬しなさいという掟(おきて)です。
こんな親、尊敬できるかよ。
親ガチャはずれた。
こういう言葉が普通に使われる時代には、親を尊敬するのは難しいことなのかもしれません。
もちろん、虐待する親にも無条件に従うことや無責任な親であっても心から尊敬することが求められているわけではありません。
親がわたしたちを造ったのではなく、創造主がわたしたちを造りました。
ですから、もし虐待する親がわたしたちの存在や価値、可能性を否定したとしても、無責任な親がわたしたちを放っておいたとしても、それでわたしたちの尊厳や価値は少しも変わりません。
究極の親である神はあなたを愛し、あなたを尊い存在にお造りになりました。
神はあなたの将来に計画を持っていて、あなたを祝福したいと望んでいます。
もしあなたの家族に、世代を超えて虐待や貧困などが続いているのだとしても、神はその悪い流れを断ち切り、あなたを祝福の源に変え、あなたの後に続く子や孫が祝福された人生を送ることができるようにしてくれます。
その一方で、神はわたしたちの親を通してわたしたちをお造りになりました。
神がわたしたちをわたしたちの両親の下に生まれさせたことには、意味があります。
親が苦労して育ててくれているのに、裕福な家と比較して、「親ガチャはずれた」とカンタンに口にするなら、それは賢いあり方ではないでしょう。
今親を軽んじて語った言葉は、将来必ず自分に返ってきます。
そういう意味でも、周りにどれだけ「親ガチャ」を口にする人がいても、そんな人たちには影響されず、与えられた条件の中で神を信じてベストを尽くすのがよいでしょう。
苦労している親を非難することなく、神を信じ、自分自身も努力して道を開いていく方が、よほど建設的で、前向きな生き方です。
神は親を尊敬し、感謝する人を祝福すると約束しています。
親との関係で困っている人は、ぜひ、天の完全な親である神を信じてください。
神の愛と祝福を受けるとき、おのずと地上の親との関係も良い方に変化します。
第六戒 あなたは殺してはならない。
第六戒は、殺人を禁止しています。
十戒に照らせば、あらゆる殺人は罪です。
しかし殺人を実行することだけが禁じられているのではありません。
イエス・キリストは、十戒の第六戒が殺人罪だけではなく、人を傷つけて尊厳をおとしめる言葉や、心の中の怒りや憎しみもふくんでいると語りました。
21: 昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
22: しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。 (マタイによる福音書5:21-22)
誰かの悪口を言ったり、恨(うら)むだけで地獄に落とされるという、極端に聞こえる言葉を、なぜイエスは語ったのでしょうか?
イエスの見方によると、わたしたち人間は普段お互いに考えているよりも、ずっと尊く、神聖な存在であるためです。
聖書は、創造主がわたしたちを「神のかたち」に造ったと教えています。
その結果、わたしたち人間は、人種、国籍、地位、富、容姿、健康、年齢などに一切関わりなく、神の前に等しく価値があるのです。
どんな人間がわたしたちを殺したり、傷つけたり、怒りを抱くこともゆるさないほど、創造主はわたしたちを愛し、大切に思っています。
イエスが明らかにした十戒の真意は、あまりにも素晴らしいものです。
わたしたちは、自覚していなくても、他人がどんなにわたしたちを馬鹿(ばか)にしても、神の前に尊厳を持つ神聖な存在ということです。
ただ、人に悪口を一度も言ったことがない人や誰かに怒ったことがない人はいません。
わたしたち自身が第六戒を破ってしまっているのです。
それが問題です。
後ほど「十戒とイエス・キリスト」でこの問題の解決に触れますが、もし気になる方は先にサイドバーの目次をクリックして読んでいただいても、大丈夫です。
さて、十戒の禁止命令(第一、二、三、六、七、八、九、十戒)は、共通して、積極的な要求もふくんでいます。
たとえば、殺人を禁じている第六戒は、積極的に命を大切にすることも求めています。
創造主はわたしたちが積極的にお互いを大切にすることをお望みになっているのです。
第六戒の殺人の禁止は、自殺もふくんでいます。
今、もうどうしようもなくて、自殺を考えている方がいたら、
神にたよるなんて・・・
と思うかもしれませんが、ぜひ、思いとどまって、神を信じてください。
クリスチャンの中には、かつて人生に絶望して自殺を考え、神を信じて人生の再チャレンジをして立ち直った方々もいます。
もう終わりだ。
どうしようもない。
と思っているかもしれませんが、あなたにはどうしようもなかったとしても、神には何とかできます!
自ら命を絶つ選択をする前に、ぜひ、神に一度チャンスをあげてください。
神にはあなたを助けることができます。
イエスによると、神にとってわたしたちは大切な存在です。
同じく、他の人たちも神にとって神聖な存在なのです。
第七戒 あなたは姦淫(かんいん)してはならない。
「姦淫(かんいん)」とは、不倫です。
他の人の夫や妻と性的不道徳な関係を持ったり、結婚している人が結婚相手以外の人と性的な関係を持ったりすることです。
聖書の見方では、結婚は単に夫婦の合意に基づく関係ではありません。
神が夫婦を出会いと結婚へと導き、神の前で夫婦は結婚の誓約をしたのです。
イエス・キリストは、結婚により夫婦は一体となるため、誰も二人を離してはならないと言いました。
離婚するカップルが増えている世の中では分かりづらいかもしれませんが、結婚は本来神聖なものです。
ですから、その結婚関係を破壊するような姦淫が禁じられているのです。
では、第七戒は既婚者だけ、あるいは既婚者を相手にした不道徳な関係だけを禁じているかというと、そうではありません。
聖書は、性的な関係を夫婦の間でだけ認めています。
第七戒は、自分の結婚相手以外と性的関係を持ってはならないと命じているのです。
厳しく感じたり、時代の流れにも反していたりしますので、
なんて時代遅れな!
誰と性的関係を持っても、自由じゃないか!!
と反発したくなるかもしれません。
しかし第七戒は、
- わたしたちが不倫によってお互いの家族や人生を傷つけ破壊することから守ってくれます。
- 性を結婚関係に限定することで、わたしたちが心理的に深く傷つけられることから守ってくれます(人間は性的な関係で傷つくことが少なくありません)。
- 性的関係を結婚関係に限定し、性の純潔を守ることで、未婚の妊娠中絶の数を劇的に減らすことに貢献するのです。
- 結婚の神聖さを教えることで、不倫や離婚が増えている現在の状況にあって、わたしたちの結婚を守ってくれます。もちろん、夫婦はお互いを愛し、支え、結婚の絆を保つことを怠(おこた)ってはいけませんが、夫婦の間に神が入ることによって、結婚はより強固になります。性や倫理の乱れた時代にあって、結婚相手を心から信頼できるのは、幸せなことではないでしょうか?
さて、イエス・キリストは、第七戒が単に不倫や結婚関係の外での性的「行為」のことを禁じているのではないと言いました。
27:『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
28: しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。
(マタイによる福音書5:27-28)
イエスはわたしたちが異性を性的な目で見るだけで姦淫になるというのです!
異性を性的な目で見たことがない人がいるでしょうか?
一体誰がこんなに高い倫理基準をパスできるのでしょうか!
インターネット上には、男性向け、女性向けのAVや漫画などの誘惑があふれており、ワンクリックで視聴できますから、この戒めを守ることはさらに難しくなっているでしょう。
後ほど「十戒とイエス・キリスト」で、わたしたちが第七戒を守れない問題の解決に触れますが、もし気になる方は先にサイドバーの目次をクリックして読んでいただいても、大丈夫です。
第七戒は、性という最もデリケートな部分に触れていますが、それはわたしたちが一番傷つく部分を守ってくれているということでもあるのです。
わたしたちとわたしたちの家族を愛する神は、この戒めによってわたしたちを守ってくれているという風に理解していただけたら幸いです。
第八戒 あなたは盗んではならない。
十戒の第八の戒めは、盗みを禁止しています。
どうしても欲しくなってしまって、クラスメートの文房具や友達のオモチャをこっそり取ってしまったり、欲しいものがあって親や祖父母、兄弟の財布や貯金箱からお金を取ってしまったりすることは、誰もが経験のあることかもしれません。
しかしそれも第八戒違反です。
お金を支払わずに商品を盗む万引きや、人からお金をだまし取る詐欺も、もちろん、第八戒に違反しています。
しかし単に盗まなければ、それでこの戒めが求めていることを行っているのかといえば、そうではありません。
十戒の禁止命令の全ては、禁止と同時に積極的な要求もふくんでいます。
第八戒の場合は、積極的に勤労に励むこと、そして自分の稼いだお金で困っている人を助けることです。
イエス・キリストの弟子パウロは、エペソの町のクリスチャンたちにこのように勧めました。
(エペソ人への手紙4:28)
富の誘惑には気をつける必要がありますが、お金そのものを罪悪視する見方は聖書にはありません。
勤労によって財を増やして、子どもの教育や老後のために計画的に備えたり、恵まれない人たちを助けたりするのは良いことです。
各地のキリスト教会、キリスト教系団体も、それぞれにホームレスの支援活動、子ども食堂、発展途上国の貧しい人たちの支援、世界宣教の活動、被災地の救援活動などを行っています。
今後、このブログでもそういった活動を取り上げてご紹介したいと考えていますので、お志のある方は、ぜひ、ご支援をお願いいたします。
わたしたちの仕事も、働く力や健康も、実は神が与えてくれているものです。
神の贈り物に感謝して、困っている人にも手を差し伸べたら、もっとわたしたちは心豊かな人生を送ることができるのではないでしょうか?
第九戒 あなたは隣人について、偽証(ぎしょう)してはならない。
第九戒は、法廷で偽りの証言をすることを禁じています。
しかしうその証言を裁判所で行なって他の人の名誉を不当に傷つけ、被害を与えることだけではなく、他の人に対してうそをついたり、だましたりすることの全てが第九戒で禁じられているのです。
配偶者をだまして、隠れて不道徳な関係を持つ不倫や、人をだましてお金を奪う詐欺など、大事な人間関係を破壊したり、他の人の持ち物を不当に取る行為は、それぞれ第七戒と第八戒に違反するだけではなく、第九戒違反でもあります。
そして、十戒の他の禁止命令と同じく、第九戒は禁止と同時に積極的な要求、すなわち、わたしたちが真実を語ることも求めています。
イエス・キリストの弟子パウロは、エペソの町のキリスト教徒たちにこう勧めました。
25: こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣り人に対して、真実を語りなさい。
29: 悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。 (エペソ人への手紙4:25, 29)
うそによって名誉、評判、信頼が不当に傷つけられることなく、人と人とがお互いに信頼し合い、安心して暮らしていける関係、社会が理想ですね。
創造主が第九戒をお与えになった目的は、そんな素晴らしい人間関係、社会を目指し、維持するためなのです。
第十戒 あなたは隣人の家をむさぼってはならない。
十戒の最後の戒めは、わたしたちが自分の状態に満足せず、他の人のものを欲しがることを禁じています。
たとえば、他の人の
- 夫や妻
- 子ども
- ペット
- 家
- 車
- 服
- 持ち物
- 容姿
- 仕事
- お金
などです。
FacebookやInstagramなどのSNSで、他の人たちの生活、セレブばかりではなく、自分の同僚、友人などの私生活も知り、カンタンに自分の生活と比較できてしまう時代には、自分の状態に満足するのは、以前よりもはるかに難しいことです。
他の人のものを不当に欲しがることから、
- 殺人
- 不倫
- 盗み
- 詐欺
などの他の様々な罪も生じてきます。
しかし聖書の見方では、他の人のものは、神が彼らに与えたものです。
そして、わたしたち自身のものも、実は神がわたしたちに一番良いとお考えになったものを与えてくださったのです。
わたしたちが自分にとって一番良いと考えるものが、本当にわたしたちにとってベストかどうかは分かりません。
神はわたしの最善を願って、わたしに必要なものを与えてくださった。
という謙遜な感謝の思いを持てたら、他の人へのねたみや恨みから自分自身が解放されて幸せになれるでしょう。
たやすいことではありませんが、やる価値のあることです。
他の人の状態をうらやんでいる間に、せっかく与えられている自分の人生の貴重な時間や人間関係を無駄にしてしまうのは、あまりにももったいないことです。
今の時代、神を抜きにして、自分の状態に満足し、感謝するのは至難(しなん)の業と言えます。
最も愛に満ち、最も賢い創造主が自分の最善を願って、自分の配偶者、家族、容姿、健康、人間関係、持ち物を与えてくれたと神を信頼するところに、満足と感謝の思いが与えられ、その思いを持ち続けてゆけるでしょう。
最後に付け加えておくと、もちろん、自分で正当な努力をして、転職したり、資格を取って別の仕事を始めるのは、この戒めの違反にはなりませんので、大丈夫です。
第十戒の禁止命令(他の人をねたまず、彼らのものを欲しがらないこと)と積極的な要求(自分の状態に満足し、感謝すること)は、他の戒めを守る以上に難しいことです。
他の人のものを欲しがらなかった人が一人でもいるでしょうか?
第十戒、そして他の戒めにも違反してしまうわたしたちの問題の解決について、この後でご紹介いたします。
十戒とイエス・キリスト
イエス・キリストは十戒の内容を神と人を愛することに見事に要約しました。
36: 「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。
37: イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
38: これがいちばん大切な、第一のいましめである。
39: 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
40: これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。
(マタイによる福音書22:36-40)
イエスが明らかにしたように、十戒の精神は、神と人を愛することです。
素晴らしいですね。
十戒はわたしたちに人間本来の自由と喜びを与えますし、十戒を守れば、わたしたち自身も周りの人々も間違いなく幸せに暮らせることでしょう。
問題は、わたしたち自身が十戒の全てを守ることができないということです。
これまで解説してきたように、十戒は単に
- 殺人
- 姦淫(かんいん)
- 盗み
- うそ
などの行為(こうい)を禁じているのではなく、
- 怒り
- 情欲
- 偽り
- ねたみ
- 欲しがること
などの心の思いまで禁じています。
誰にも怒ったり、異性を性的な目で見たり、うそをついたり、ねたんだり、欲しがったりしたことが一度もない人がいるでしょうか?
十戒は、わたしたちのありのままの弱い姿を映し出す「鏡」です。
この地球上に生きる全人類の誰一人として、十戒の全てを守ることはできないのです。
では、どうしたらよいのでしょうか?
聖書は、わたしたちの問題の唯一の解決として、神の子、救い主イエスのことをわたしたちに紹介しています。
神の子イエスはありのままのわたしたちの弱さと罪を全部知っていながら、わたしたちを罪とその破滅から救い出すためにこの世に救い主として生まれました。
イエスは生涯、神と人を愛して生き、この地上でただ一人、罪のない人でした。
イエスは約2000年前にエルサレムで十字架刑で処刑されましたが、それはイエスが悪いことをしたからではなかったのです。
イエスの十字架はわたしたちを罪から救うための身代わりの死だったと、聖書は教えています。
イエスは神のルールである十戒に違反したわたしたちの罪を一身に背負って、十字架の上で身代わりに罪の罰を受けて死んだのです。
そのおかげで、わたしたちの犯した罪の全ては、天の神の前で全てゆるされるというのが、キリスト教の伝える福音(良い知らせ)です。
そして、神の子イエスの愛を知ることによって、わたしたちは十戒が伝える人間本来の自由を取り戻し、神と人を愛する人へとじょじょに変えられていきます。
十戒はわたしたちのありのままの弱さを明らかにすることで、わたしたちを神の子、救い主イエスのもとに導く役目を果たすのです。
十戒を取り上げた映画
神がモーセを通してイスラエルの民をエジプトの奴隷状態から解放した、旧約聖書の出エジプト記の内容を原作としています。
映画の製作&監督はセシル・B・デミルで、当時の著名な俳優たちが出演しています。
特に紅海が割れるクライマックスシーンで有名です。
第29回アカデミー賞で特殊効果賞を受賞しました。
壮大なストーリーと当時の最先端の技術を用いたシーンは、今でも多くの視聴者に愛され続けており、映画史に残る不朽の名作として知られています。
関心のある方は、ぜひ、ご覧ください。
AmazonのPrime Videoでは、DVDよりも安く視聴できるのでおすすめです!
まとめ:イエスを信じて、十戒のもたらす自由と愛の人生を生きていきましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。いかがでしたか。
この記事では、
- モーセの十戒(じっかい)とは何か?
- 十戒の歴史的背景
- 十戒のそれぞれの内容の解説
- 十戒とイエス・キリスト
- 映画『十戒』の紹介
について解説してきました。
十戒の内容をお分かりいただけたことでしょう。
一見厳しく聞こえる十戒ですが、
- 創造主が造った人間本来の自由と喜びをわたしたちに与え、
- 十戒違反の罪がわたしたち自身と家族、周りの人々に及ぼす破壊的影響から守り、
- わたしたちの弱さを示すことで、わたしたちを救い主イエスに導いてくれます。
この記事を読んで、聖書のこと、イエスのことをもっと知りたくなった方は、ぜひ、他の記事も読んでみてください↓↓
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