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【カンタン解説】聖書から取られたことわざ・言葉10選【前編】

聖書

 

女性
女性

『豚に真珠』や『目から鱗(うろこ)が落ちる』など、聖書に由来することわざや言葉があると聞きました。

 

聖書から取られたことわざや言葉が知りたいです。

 

キリストさん
キリストさん

「わかりました。

 

日本語になった聖書のことわざ・言葉を紹介しますね。

 

普段の会話の中でよく使っている言葉もあって、『え?この言葉も聖書からだったの?』って、きっと驚くと思いますよ。


この記事を書いているわたしは、クリスチャンの家に生まれ育ち、プロテスタントの牧師になるための神学校を卒業後、約20年間キリスト教会で牧師として働いてきました。

このようなわたしが上記のリクエストにお答えします。

ぜひ、最後までご覧ください。

【カンタン解説】聖書から取られたことわざ・言葉10選【前編】

今回は聖書に由来することわざ・言葉を5つ紹介します。

①豚に真珠 マタイによる福音書7章6節


聖書から取られたことわざ・言葉の1つ目は「豚に真珠」です。

普通このことわざは、「価値を理解できない人にとっては、価値あるものも何の役にも立たない」という意味で使われています。

実は豚に真珠は、元々聖書の中のイエス・キリストの言葉です。

「聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。」(マタイによる福音書7:6)

イエスは約2000年前に民衆に神の国の教えを語りましたが、その教えを理解せず、イエスに反抗する者たちもいました。

イエスは、「神の国の教えの限りない価値を理解せず、あざ笑って拒否する人たちにはその教えを語り続けるべきではない。反抗してかみついてくるだけだから。」とおっしゃったのです。

 

キリストさん
キリストさん

この世で最も価値があり、真珠よりも高価なのは、イエスが語った神の国の教えです。

②砂上の楼閣(ろうかく) マタイによる福音書7章26-27節


聖書に由来することわざ・言葉の2つ目は「砂上の楼閣(ろうかく)」です。

見た目は立派でも、しっかりとした基礎がないためにすぐに崩れてしまい、長期的に維持するのが難しいこと。実現不可能な目標や計画」という意味で使われています。

元々は聖書の中のイエスの言葉です。

「また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。」(マタイによる福音書7:26-27)

イエスは神の国の教えを聞いて行う者の人生を岩の上に家を建てた賢い人にたとえ、聞いても行わない人を砂の上に家を建てた愚かな人にたとえました。

つまり、「砂上の楼閣」は、わたしたちの人生の目標や計画というより、わたしたちの人生そのものがもろい土台の上に立っていないかどうか気をつけなさいという警告の言葉だったのです。

 

キリストさん
キリストさん

イエスの語った神の国の教えは、昔も今も多くの人々の人生を支えてきました。

 

実に、イエス自身こそ、わたしたちの人生が砂上の楼閣とならないためのただ一つの確かな土台なのです。

③目から鱗(うろこ)が落ちる 使徒行伝9章18-19節


聖書から取られたことわざ・言葉の3つ目は、「目から鱗(うろこ)が落ちる」です。

あることがきっかけとなって、迷いからさめ、急に真実や本質がよく見えるようになる」という意味で使用されています。

このことわざは、紀元一世紀の地中海世界にイエスの教えを広めたパウロが、イエスの教えに初めて目覚めるようになったできごとに由来します。

パウロ(その頃はサウロという名前で活動)は、イエスを神の子、救い主と信じるキリスト教徒たちを苦しめていた人物でした。

そんなパウロが他の町にいるクリスチャンたちもいじめてやろうと向かっていた途中、なんと復活したイエスがパウロと出会ったのです。

そして、パウロは目が見えなくなってしまいました。

しかし、アナニアというクリスチャンがパウロの上に手を置き、「ここに来る途中であなたが出会った神の子イエスがわたしをあなたのところに送ったのです」と言うと、パウロは再び目が見えるようになりました。

「するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、また食事をとって元気を取りもどした。」(使徒行伝9:18-19)

こうして、パウロはイエスこそが神の子であるとはっきりわかるようになり、イエスのことを広く伝える人となりました。

つまり、元々「目から鱗(うろこ)が落ちる」は、迷いからさめて、イエスについての真実がわかるようになるという意味だったのです。

 

キリストさん
キリストさん

あなたはイエスをどういう人だと考えていますか?

 

聖書はイエスが神の子、救い主だと教えています。

④狭き門 マタイによる福音書7章13-14節


聖書に由来することわざ・言葉の4つ目は「狭き門」です。

このことわざの意味は、「同じ学校や会社に入りたい希望者が多いため、競争が激しく、入学や就職などが難しい」ということです。

このことわざも、実は聖書の中のイエス・キリストの言葉から取られています。

「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。」(マタイによる福音書7:13-14)

イエスはここで二つの結末に導く二つの生き方を比べています。

多くの人たちはラクそうに見える大きな門、広い道を通って行きますが、その先にあるのは永遠の滅びです。

狭い門、細い道には困難がありますが、永遠の命(天国)へと続いているため、イエスはわたしたちが狭い門、細い道から入るようにおっしゃっています。

実際、この世でイエスを神の子、救い主と信じて生きていくことには、喜びとともに困難もあります。

しかし、天国へと続くのは、イエスを信じ、従う者が歩む狭い門、細い道なのです。

 

キリストさん
キリストさん

誰も自分の努力で天国に入ることはできませんが、イエスを信じる者には永遠の命が与えられます。

 

あなたもイエスを信じてみませんか。

⑤働かざる者食うべからず テサロニケ人への第二の手紙3章10節


聖書から取られたことわざ・言葉の5つ目は、「働かざる者食うべからず」です。

怠けて働こうとしない人は、食べてはいけません」という意味で使われており、怠惰(たいだ)を戒め、勤勉に働くことをすすめるために使われています。

元々は聖書の中に収められている、イエス・キリストの弟子パウロの言葉です。

「また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。」(テサロニケ人への第二の手紙3:10)

実は、パウロが「働かざる者食うべからず」と書き送ったのは、キリスト教の教えを誤解して働くことをやめてしまっていた一部の人たちの間違った生活を正すためでした。

ですから、病気や障害、失業などの事情があって働きたくても働けない方が、「働かざる者食うべからず」という言葉によって心を痛めることがないように、わたしは願っています。

 

キリストさん
キリストさん

働く力があるのに怠けて働こうとしない態度が戒められているのですね。

まとめ 聖書から知恵を学んで、賢く生きていきましょう! 


最後までお読みくださり、ありがとうございました。いかがでしたか。

この記事では、聖書に由来することわざ・言葉を5つ取り上げ、解説してきました。

聖書は「永遠のベストセラー」と呼ばれ、数えきれないぐらい多くの人々に読まれ、「人生の指針」、「賢く生きる知恵」を人々に与えてきました。

聖書には創造主である神から与えられた知恵がいっぱいつまっています。

聖書から知恵を学び、賢く生きていきましょう!

まずは、ぜひ、「【カンタン解説】聖書から取られたことわざ・言葉10選【後編】」をお読みください。

聖書のこと、神様のこと、救い主イエス・キリストのことをさらにお知りになりたい方は、どうぞ他の記事も読んでみてください↓↓

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キリストさん

                                   ● クリスチャンの家に生まれ育ち、プロテスタントの牧師になるための神学校卒業後、約20年間牧師として教会で働く。
                                   
● 2024年、キリスト教の素晴らしさを伝えるためにこのブログを開始。

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