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クリスチャンでない人のための使徒信条ガイド【日本語・英語全文紹介】

聖書

 

女性
女性

使徒信条って、何ですか?

 

どんな意味があるかをわかりやすく教えてください。


こんな疑問にお答えします。

本記事の内容

  • 使徒信条とは~聖書の教える三位一体(さんみいったい)の神への信仰告白~
  • 使徒信条の日本語と英語の全文紹介
  • 父なる神についての信仰告白
  • 【参考】キリスト教が教える「罪」とは?
  • 神の子イエス・キリストについての信仰告白
  • 聖霊についての信仰告白

本記事の信頼性

  • 筆者は、クリスチャン歴40年以上
  • 約20年間の牧師としての経歴
  • キリスト教の主な著作を読んで得た知識

 

キリストさん
キリストさん

この記事を読むと、使徒信条とは何か、どんな意味があるのかがざっくりと分かります。

 

カンタンに解説しますので、ぜひ、最後までご覧ください。

クリスチャンでない人のための使徒信条ガイド【日本語・英語全文紹介】

使徒信条とは~聖書の教える三位一体(さんみいったい)の神への信仰告白~

使徒信条は、キリスト教徒の信仰の告白です。

聖書が教える父と子と聖霊の三位一体(さんみいったい)の神への信仰を告白したものです。

使徒信条は、紀元5世紀頃に現在の形にまとまり、カトリックとプロテスタントが共通して使用しています。

この伝統的な信仰告白が「使徒」信条と呼ばれるのは、イエス・キリストの12弟子(使徒と呼ばれています)の教えを忠実に要約しているためです。

イエス・キリストの12使徒が使徒信条の言葉を1つずつ出しあって完成したという伝説がありますが、あくまで伝説に過ぎません。

使徒信条は正統的なキリスト教の教えを見事に要約しており、キリスト教入門や洗礼志願者コースのテキストとしても使われています。

 

牧師
牧師

使徒信条を採用している教会は、間違った教えを伝える異端(いたん)ではないから、安心して通ってOK!

 

とも言われます。

使徒信条の全文を日本語と英語で紹介

それでは、使徒信条を日本語と英語で紹介しましょう。

※掲載されている本によって若干言葉が違います。

我は天地の造り主(つくりぬし)、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子(ひとりご)、我らの主(しゅ)、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生(うま)れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架(じゅうじか)につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審(さば)きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦(ゆる)し、身体(からだ)のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン。

 

I believe in God, the Father almighty,
creator of heaven and earth.

I believe in Jesus Christ, his only Son, our Lord,
 who was conceived by the Holy Spirit,
 born of the virgin Mary,
 suffered under Pontius Pilate,
 was crucified, died, and was buried;
 he descended to hell.
 On the third day he rose again from the dead;
 he ascended into heaven,
 he is seated at the right hand of the Father,
 he will come to judge the living and the dead.

I believe in the Holy Spirit,
 the holy catholic Church,
 the communion of saints,
 the forgiveness of sins,
 the resurrection of the body,
 and the life everlasting. Amen.

ご覧いただいてお分かりのように、使徒信条は以下の3つの項目に分かれています。

  • 父なる神についての信仰告白 
  • 神の子イエス・キリストについての信仰告白
  • 聖霊についての信仰告白

圧倒的な分量がイエス・キリストに関しての信仰に割かれているのが特徴です。

それぞれに解説していきます。

父なる神についての信仰告白

我は天地の造り主(つくりぬし)、全能の父なる神を信ず。

使徒信条の第1項目は、神が

  • 創造主

であると教えています。

神は創造主

神が創造した世界の美しさ

神が創造した世界の美しさ

はじめに神は天と地とを創造された。(創世記1章1節)

聖書の教える神は、この世界とその中に生きるわたしたち人間、あらゆる生き物をお造りになった偉大な創造主です。

そして、目には見えませんが、神は今も自分が造った世界を治め、歴史の究極のゴールへ向けてすべてを力強く導いています。

神は父

天の父である神へ祈るように教えるイエス

天の父である神へ祈るように教えるイエス

だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。                (マタイによる福音書6章9節)

イエス・キリストは人々に天の神はであると教えました。

つまり、神は人格を持ったお方であると、イエスは教えたのです。

しかも人格神は、父親が子を愛して養育の責任を負うように、わたしたち人間を愛し、深い関心を抱いていると、イエスは語りました。

キリスト教徒にとって、神は遠い存在ではなく、最も近い存在です。

 

キリストさん
キリストさん

聖書の教える神は、全宇宙の創造主であると同時に、ちっぽけなわたしたち一人ひとりのことを愛し、気にかけてくださる父なのです。

【参考】キリスト教が教える「罪」とは?


キリスト教会に行くと、

「罪」

という言葉をよく耳にします。

聖書には、

「罪」

という言葉がたくさん出てきます。

特に、

「罪人」(「ざいにん」ではなく、「つみびと」と読みます)

という言葉を見聞きすると、

 

男性
男性

わたしは犯罪なんか犯したことはない!

 

と反発したくなることでしょう。

ただ、その際に想定しているのは、社会的犯罪、おもに対人関係で行われる犯罪でしょう。

しかし聖書の教える罪とは、おもに神との関係での罪なのです。

創造主がわたしたち人間をお造りになったのに、的を外してどこかに飛んで行ってしまう矢のように、わたしたちは生まれつき創造主から離れて生きています。

キリスト教が「罪」と言っているのは、創造主を無視し、離れている状態のことです。

そして、この「罪」こそが、この世界の悲惨(ひさん)や死の原因であり、やがてわたしたちを永遠の破滅に導くと、聖書は教えているのです。

しかし聖書は同時に、創造主が自分から離れているわたしたち人間をそれでも愛して、救い主イエス・キリストをこの世に送ってくださったことを伝えています。

救い主イエスは十字架の死と復活によって、わたしたちの罪からの救いを実現してくださいました。

これこそ、キリスト教が伝える良い知らせです。

罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。                                (ローマ人への手紙6章23節)

 

キリストさん
キリストさん

キリスト教の罪についてお分かりいただけましたか?

 

キリスト教は、わたしたちを犯罪者呼ばわりしているわけではないのです。

神の子イエス・キリストについての信仰告白

我はその独り子(ひとりご)、我らの主(しゅ)、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生(うま)れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架(じゅうじか)につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審(さば)きたまわん。

使徒信条の中心部分である第2項は、

  • イエス・キリストは神の子、救い主であること
  • イエス・キリストが実在の人物であること
  • イエス・キリストの十字架の死
  • イエス・キリストの復活
  • イエス・キリストの再臨(もう一度戻って来ること)

について教えています。

イエス・キリストは神の子、救い主

イエス・キリストの誕生

イエス・キリストの誕生

トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。 (ヨハネによる福音書20章28節)

日本では、イエス・キリストは孔子や釈迦と並ぶ「世界三大聖人」として知られています。

日本人にとって、イエスは偉大な道徳の教師であって、それ以上の存在ではないでしょう。

しかし聖書は、イエス・キリストが神の「独り子」、つまり、たった一人の子どもであると教えています。

犬の子は犬、人の子は人であるのと同じく、神の子であるイエスは100%神です。

イエスは神でありながら、わたしたち人間を罪とその結末から救うために、聖霊の力によって処女マリアの胎内に宿って、約2000年前の最初のクリスマスに人として生まれました。

実はイエス・キリストの名前自体が、イエスの救い主としての使命を示しています。

「イエス・キリスト」は、「山田(姓)太郎(名)」のような苗字と名前ではなく、「キリストであるイエス」という意味です。

そして、キリストは、神が任命した救い主の称号でした。

イエス・キリストという名前は、「イエスこそがキリスト、神が送った救い主」というキリスト教徒の信仰の告白なのです。

イエス・キリストは実在の人物

総督ポンテオ・ピラトの前でのイエス

総督ポンテオ・ピラトの前でのイエス

そこで、ピラトはバラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。         (マタイによる福音書27章26節)

使徒信条は、イエスがローマ総督「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」たと伝えることによって、イエス・キリストが歴史上の実在の人物であったことを教えています。

イエスが総督ピラトによって処刑されたことは、ローマの政治家・歴史家タキトゥスが『年代記』に記している歴史的事実です。

イエスが実在したかどうかに関心のある方は、ぜひ、次の記事をご覧ください↓↓

使徒信条がイエスはピラトの下で苦しみを受けたことを強調しているのは、イエスの苦しみと十字架の死が人類に与えた救いもリアルであることを教えるためなのです。

イエス・キリストの十字架の死

イエス・キリストの十字架の死

イエス・キリストの十字架の死

さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。
(ペテロの第一の手紙2章24節)

十字架刑はローマ帝国では反逆者、死刑囚、逃亡奴隷だけに適用され、ローマ市民権を有する者は免除されていた、最も重い刑罰でした。

イエスは罪のない方でしたが、イエスの人気をねたんだ宗教指導者たちによってローマ総督へ反逆罪で引き渡され、十字架で殺されました。

ただ、イエスは十字架を避けようと思えば、実は逃れることができたのです。

しかしイエスは、わたしたちを罪から救う使命を果たすために、十字架への道を自ら進んで行きました。

聖書は、イエスがわたしたちの罪を背負い、十字架で身代わりに罪の罰を受けて死んだと教えています。

イエス・キリストがなぜ十字架で死んだのかに関心のある方は、ぜひ、次の記事をご覧ください↓↓

イエス・キリストの復活

イエス・キリストの復活

イエス・キリストの復活

わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、

そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、
                   (コリント人への第一の手紙15章4節)

イエスは十字架で死に、墓に葬られましたが、そのままではいませんでした。

3日目に復活したのです。

イエス・キリストの復活は、人類史上最初の死に対する勝利であり、天国と復活と永遠の命の希望をわたしたちに与えてくれます。

イエス・キリストが本当に復活したかどうかに興味のある方は、ぜひ、次の記事をお読みください↓↓

イエス・キリストはもう一度戻って来る

イエス・キリストの昇天

イエス・キリストの昇天

キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。                                        (ヘブル人への手紙9章28節)

救い主として地上で行うべき使命を果たした後、イエスは天に昇りました。

しかしイエスは、いつか自分が戻って来ると弟子たちに約束していました。

イエスがもう一度戻って来ることを再臨(さいりん)と言います。

聖書は歴史を「直線」として見ています。

この世界の歴史は創造主による天地創造で始まり、やがてイエス・キリストの再臨のときにこの世界の歴史は終わりを迎えるのです。

神の子イエスは再臨するとき、最後の審判(しんぱん)を行って、この世の悪を裁き、わたしたちに永遠の救いと喜びを与えてくださいます。

クリスチャンたちは約2000年間、イエスの再臨を待ち望みつつ、イエスが実現した罪からの救いを世界中の人々に伝え、イエスの教えた愛を実践してきました。

イエス・キリストについてもっと知りたい方は、ぜひ、次の記事をお読みください↓↓

 

キリストさん
キリストさん

創造主は自分を無視して生きるわたしたちをそれでも愛し、罪から救うために自分の大切な子どもを救い主として送ってくれました。

 

神の子イエスはわたしたちを愛し、わたしたちを罪とその恐ろしい結果から救うために、十字架で命を捨ててくれたのです。

 

聖書が教え、キリスト教徒が信じ、告白しているのは、神とイエス・キリストのわたしたちに対する深い真実な愛なのです!

聖霊についての信仰告白

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦(ゆる)し、身体(からだ)のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン

使徒信条の第3項は、

  • 聖霊
  • 教会
  • 罪の赦し
  • 身体のよみがえり
  • 永遠の命

について教えています。

聖霊とは?~わたしたちを助ける神~

聖霊が弟子たちの上に降(くだ)る

聖霊が弟子たちの上に降(くだ)る

そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。                               (コリント人への第一の手紙12章3節)

イエスは天に昇った後、弟子たちに聖霊を送りました。

聖霊は、イエスの弟子たちが信仰を持ち、弟子たちが世界中の人々にイエスの救いを伝えるのを助けました。

今も聖霊は、わたしたちがイエスを救い主と信じることができるように助けてくれます。

例えば、わたしたちが聖書を読むとき、聖霊はわたしたちが聖書の教えを理解できるように助けてくれるのです。

聖霊は、神の単なる力ではありません。

父と子と並ぶ、聖書の教える三位一体の神であり、わたしたちがイエスを信じて生きてゆくのを助けてくれる方なのです。

教会は人間が勝手に始めた組織ではない

さまざまな教団教派があっても、イエスを信じる一つの教会があるだけ

さまざまな教団教派があっても、イエスを信じる一つの教会があるだけ

そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。
(マタイによる福音書16章18節)

 

男性
男性

教会は人間が勝手に始めた組織でしょ?

 

だから、カトリックとプロテスタントに分かれているし、色んな教団があるんじゃないの?

こう思っている方は、結構いるでしょう。

ただ、聖書は、キリスト教会の創始者はイエス・キリスト自身だと教えています。

そして、それ以来2000年間、キリスト教会を導いてきたのも、イエス・キリストなのです。

確かに見かけはカトリックとプロテスタントに分かれていて、色んな教団がありますが、クリスチャンはみんな、イエスを信じています。

その点では、みんな同じです。

様々な違いはあっても、キリスト教会はこの世界の歴史を通じてたった一つあるだけなのです。

罪の赦し~誰もが必要としているもの~

イエスの十字架の身代わりの死のおかげで、すべての罪は赦される

イエスの十字架の身代わりの死のおかげで、すべての罪は赦される

「預言者たちもみな、イエスを信じる者はことごとく、その名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。(使徒行伝10:43)

罪悪感を一度も抱いたことのない人はいないでしょう。

ですから、使徒信条が語る「罪の赦し」は、全人類の心に例外なく訴える強力な力、魅力があります。

罪の赦しが与える罪悪感からの解放こそ、自分を赦し、受け入れてもらいたいという、わたしたちの憧れ、願いをかなえるものだからです。

救い主イエスがわたしたちの罪を背負い、十字架で身代わりに罪の罰を受けてくれたおかげで、神の前でのわたしたちの罪は全部赦されます。

神はわたしたちを自分の子どもとして受け入れ、わたしたちは今から永遠に神のロイヤルファミリーの一員として、神に愛され、守られ、導かれて生きていけるのです。

身体のよみがえり~これがなければ、救いとは言えない~

復活後の永遠の世界

復活後の永遠の世界

しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。                                                     (コリント人への第一の手紙15章 20節)

わたしたちの魂はイエスの十字架の死のおかげで罪の赦しを与えられ、死んだ後に天国に迎えられます。

魂が救われるのは素晴らしいのですが、それではまだ魂と身体を持つわたしたちの全存在の半分しか救われていません。

わたしたちは今まで身体を持って人生を生きて、目を通して人や景色を見て、鼻で匂いをかぎ、耳で音を聞いて、舌で食べ物を味わい、手で触れてきました。

誰も魂だけで生きることをしたことがありません。

魂だけの他の人たちがどう見えるのか、魂だけの自分が他の人々にどう見えるのか、そもそも見えるのかさえ、全く分からないのです。

もしわたしたちが魂だけで永遠に生きなくてはならないなら、わたしたちが今経験している喜びや楽しみのほとんど全てが永遠に失われてしまうことになります。

このように考えていただくと、身体の復活がなければ、わたしたちの救いは完全ではないどころか、そもそも救いとは言えないことがお分かりいただけるでしょう。

しかし神は、救い主イエス・キリストを死人の中からよみがえらせて、復活の希望をわたしたちに与えてくださいました。

イエス・キリストの復活は、聖書の中で「初穂」と呼ばれています。

収穫の初穂はその後の収穫全体を保証するものです。

約2000年前にイエスを復活させた神は、同じようにいつかわたしたちの身体も復活させてくれるのです。

そして、わたしたちの身体は天国にいる魂と再び結び合わされ、永遠の世界で神と人々といっしょに生きていきます。

これこそが、救いであり、これだけが真に救いと呼ばれるにふさわしいでしょう。

永遠の命~単なる不老不死ではありません~

永遠の命とは、神とイエス・キリストといっしょに生きること

永遠の命とは、神とイエス・キリストといっしょに生きること

また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。             (ヨハネの黙示録21章3-4節)

永遠の命というと、不老不死をイメージする方が少なくないでしょう。

しかし聖書の教える永遠の命は、単なる不老不死ではありません。

この世界には悪いことや悲惨(ひさん)な出来事もたくさん起こります。

そんな世界を死ぬこともできずに永遠に生き続けなくてはならないのは、祝福であるどころか、呪いのように感じる人もいるでしょう。

聖書の教える永遠の命は、今の人生の時間の限りない延長ではなく、質の変化にあります。

永遠の世界では、

  • わたしたち自身をふくめた人間の罪
  • 苦痛、悲しみ、死

はありません。

そして、わたしたちを愛し、わたしたちを罪から救うために自分の子どもをこの世に送ってくれたほどに愛してくれている天の父、

わたしたちを愛して、十字架で命を捨ててくれたほどに愛してくれている神の子イエス・キリストといっしょに永遠に生きてゆくのです。

愛そのものである三位一体の神といっしょに永遠に生きることこそが、聖書の教える永遠の命の本質なのです!

 

キリストさん
キリストさん

父と子と聖霊の三位一体の神は、わたしたちが必要としている完全な救い(罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の命)を与えてくれるのです!

まとめ:三位一体の神の愛と救いを賛美し、告白して生きてゆきましょう!


最後までお読みいただき、ありがとうございました。いかがでしたか。

この記事では、

  • 使徒信条とは~聖書の教える三位一体(さんみいったい)の神への信仰告白~
  • 使徒信条の日本語と英語の全文紹介
  • 父なる神についての信仰告白
  • 【参考】キリスト教が教える「罪」とは?
  • 神の子イエス・キリストについての信仰告白
  • 聖霊についての信仰告白

について解説してきました。

使徒信条とは何か、どんな意味があるのかがお分かりいただけたことでしょう。

使徒信条の核(コア)にあるのは、わたしたちを愛し、救おうとする父と子と聖霊の三位一体の神の愛と救いのストーリーです。

父と子と聖霊の神がどんなに自分たちを愛し、救おうとしているかを思って、クリスチャンたちは心からの感謝、喜び、賛美をもって、使徒信条を告白し続けてきました。

創造主と神の子イエス・キリストはあなたのことも愛しています。

あなたもイエスを救い主と信じてみませんか?

あなたが神の愛とイエスの救いを受け入れて、使徒信条があなたの信仰告白となるように、あなたの人生が今から永遠に喜び、感謝、神への賛美でいっぱいになるように、心から願っています。

この記事を読んで、イエス・キリストや聖書、祈りについてもっと知りたい方は、ぜひ、他の記事も読んでみてください↓↓

 

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                                   ● クリスチャンの家に生まれ育ち、プロテスタントの牧師になるための神学校卒業後、約20年間牧師として教会で働く。
                                   
● 2024年、キリスト教の素晴らしさを伝えるためにこのブログを開始。

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