そもそもイエスは実在したんですか?
証拠はありますか?
はい、イエスは実在の人物です。
イエスが実在したことを証明できる歴史資料がありますので、いっしょに見てゆきましょう。
この記事を書いているわたしは、クリスチャンの家に生まれ育ち、プロテスタントの牧師になるための神学校を卒業後、約20年間キリスト教会で牧師として働いてきました。
こんなわたしが上記の疑問にお答えします。
ぜひ、最後までご覧ください。
【徹底解説】イエスは実在したのか?【歴史資料から証明】
イエスは実在の人物です。
その理由はイエスの実在の証拠となる歴史資料があるからです。
イエスに関する歴史資料は大きく分けて2つです。
- 聖書以外の歴史資料
- 聖書
イエスの実在の証拠を尋ねる方は、聖書以外の歴史資料のことを想定しているでしょうから、最初に聖書以外の歴史資料を取り上げます。
その後で、聖書がイエスの実在を証明する歴史資料として価値があり、信頼できることについて解説いたします。
イエスの実在の証拠となる聖書以外の歴史資料
イエスの実在の証拠となる歴史資料の中から、よく引用されるのは3つです。
①ローマの歴史家タキトゥス(55年頃-120年頃)の『年代記』(116年頃)
タキトゥスの『年代記』には、「クリストゥス」と呼ばれる人物がローマ皇帝ティベリウスの治世にポンティオ・ピラトによって処刑されたという記述が出てきます。
この「クリストゥス」はキリスト、つまり、イエス・キリストのことです。
タキトゥスはイエスを実在した人物として記しています。
背景もふくめてもう少しくわしく説明すると、ローマの政治家、歴史家であったタキトゥスは、西暦64年の「ローマ大火」のことを『年代記』に書きました。
実にローマ市の3分の2を焼いた大火災でした。
この大火の最中に、皇帝ネロは新しい都を建設する目的でひそかにローマに放火を命じたと疑われたのです。
ネロがその噂をもみ消すために、ローマ市内にいた「クリストゥスを信じる者」、すなわち、キリスト教徒を犯人にでっち上げて処刑したことをタキトゥスは記しています。
太字の部分がイエスについての記述です。
イエスがピラトによって処刑されたという『年代記』の記述は、新約聖書がイエスの死について伝えていることと見事に一致します。
タキトゥスは古代の歴史家の一人と見なされ、『年代記』は信頼できる歴史資料と評価されています。
②ユダヤ人の歴史家ヨセフス(37年-100年頃)の『ユダヤ古代誌』(93-94年頃)
ユダヤ人の歴史家ヨセフスの『ユダヤ古代誌』の中に、「キリストと呼ばれるイエスの兄弟ヤコブ」という記述があります。
この「キリストと呼ばれるイエス」が、イエス・キリストのことです。
紀元1世紀のユダヤには、ヤコブという名前を持った人が何人もいました。
ですから、石打ちの刑で処刑されたのは、どのヤコブのことか特定するために、ヨセフスは「イエスの兄弟ヤコブ」と書く必要があったのです。
ただし、イエスという名前を持つ人も当時は珍しくなかったため、どのイエスかを明確にするために、「『キリストと呼ばれるイエス』の兄弟ヤコブ」と、ヨセフスは書いたのです。
ヨセフスは明らかにイエスを実在の人物として取り上げています。
③ユダヤ教の『バビロニア・タルムード』(5世紀末に成立)
ユダヤ教の『バビロニア・タルムード』の中に、「過越祭の前夜、ナザレのイエスは(十字架に)かけられた」という記述があります。
ユダヤ教はキリスト教と同じく、旧約聖書を権威ある書物として受け入れていますが、イエスを旧約聖書で約束されていた救い主として受け入れない点で決定的にキリスト教と違います。
ユダヤ教はイエスが救い主だなんて、「ゼッタイない!」という立場です。
ですから、イエスを救い主と信じるクリスチャンたちを紀元1世紀のユダヤ教は敵視し、迫害しました。
一番イエスの実在を否定しそうなのはユダヤ教だったわけですが、そのユダヤ教すら、イエスが実在したことは否定しませんでした。
イエスが実在したことは否定しようのない事実だったからです。
もちろん、イエスは魔術を行なったり、人々を悪い道にそそのかしたりしてはいません!
ただ、イエスが救い主であることを否定するユダヤ教すら、以下の4点を認めていることは非常に重要です。
- イエスが実在したこと
- 超自然的な奇跡を行なったこと
- 人々の人気を集めたこと
- 過越祭の前日に十字架で処刑されたこと
これらの4つは、新約聖書の伝えるイエスに関する記述と一致します。
このように、イエスが救い主であることを否定するユダヤ教の文献にも、イエスの実在を証明する記述があるのです。
ここまでイエスの実在の証拠となる聖書以外の3つの歴史資料をご紹介しました。
イエスが実在の人物であったことがお分かりいただけたことでしょう。
ただ、この後でイエスの実在を証明する最大の歴史資料についても解説しますので、ぜひ、続けてお読みください。
新約聖書こそ、イエスの実在を証明する最大の歴史資料
さて、イエスの実在の証拠を尋ねる人は、聖書以外の歴史資料を想定しているでしょう。
しかし、新約聖書こそ、イエスの実在の最大の証拠なのです。
え?新約聖書はクリスチャンの信仰の産物だから、歴史資料としての価値はないんじゃない?
神話や伝説のようなものではないの?
いいえ、新約聖書には歴史資料としての価値があります!
その理由を以下にあげてゆきます。
- まず、イエスの言葉と行いを伝える4つの福音書が、イエスの死後100年以内に書かれたからです。特に一番最初に書かれたと言われる『マルコによる福音書』は、イエスの十字架刑(紀元30年頃)から30-40年以内に書かれました。
- 新約聖書にふくまれているイエスの弟子パウロの手紙のいくつかは、『マルコの福音書』よりもさらに早く執筆され、その中でも最初期の手紙である『テサロニケ人への第一の手紙』は紀元50年に書かれたと言われています。イエスの死後20年くらいです。
- さらに、クリスチャンたちが口で伝えた信仰の告白・伝承がパウロの手紙の中にふくまれているのですが、歴史学者たちはその口伝(くでん)は、出来事そのものが起こってから数か月から数年の間に形成されたと考えています。
パウロの手紙にふくまれている最初期のクリスチャンの口伝(くでん)の1つをご紹介します。
3:わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、
4:そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、
(コリント人への第一の手紙 15:3-4)
キリスト教の伝える福音(良い知らせ)が要約されているこの箇所は、著者であるパウロがはっきりと書いているように、パウロ自身も他の人々から口で教えられたことでした。
もしイエスが十字架で死んだまま復活しなかったのなら、数か月から数年の短期間でイエスが復活したという信仰が弟子たちの間で出来上がり、広まることは不可能です。
あまりにも早すぎます。
まして、この口伝の中心人物であるイエス自身が存在しなかったのなら、イエスに関する信仰の言い伝えがそれほど早く出来上がるはずがありません。
そして、イエスが復活したという信仰の言い伝えを弟子たちが作り上げたと仮定した場合、元になる実在の人物なしにその人物への信仰を作り上げるなんて、果たして可能でしょうか?
実在の人物が中心にいないそんな信仰をだれが信じるでしょうか?
たとえば、イエスはガリラヤ地方のナザレで育ったため、「ナザレのイエス」と呼ばれました。
もしイエスが実在しなかったのなら、クリスチャンたちがイエスへの信仰をガリラヤの人々に伝えたとき、「そもそも、そんなヤツはいないぞ!」とガリラヤに住んでいたユダヤ人たちからクレームが起こったことでしょう。
ガリラヤに住んでいたユダヤ人たちは、毎年、エルサレムの都で開催された過越祭に行っていました。
「クリスチャンたちが復活したって伝えているイエスなんて、そもそも俺たちの地方にはいないぞ!」とガリラヤ出身のユダヤ人たちがエルサレムで言いふらせば、キリスト教の信頼は失墜し、結果、だれもキリスト教の教えを信じなくなったことでしょう。
しかし歴史の事実として、キリスト教はあっという間に広まりました。
新約聖書が伝えるようにイエスを神の子、救い主と信じない無宗教の人であっても、イエスが実在した方が自然と考えるのは、元になる人物なしにその人への信仰を作り上げるのはあまりにも困難だからです。
イエスに関する歴史研究が世界の大学で行われてきましたし、多くの歴史学者たちがイエスは実在の人物であったことを認めています。
アレクサンダー大王に関する歴史資料との比較
さて、新約聖書が古代において歴史資料として類まれな価値があり、信頼できることは、アレクサンダー大王に関する歴史資料と比較することでも明らかになるでしょう。
歴史家たちは、アレクサンダー大王(紀元前356~323年)に関する情報の大部分を紀元1世紀のプルタルコスの著作から得ています。
アレクサンダー大王の時代からほぼ4世紀後のプルタルコスの著作からです!
現代の歴史家が用いる最も古い資料は、アレクサンダー大王の死後260年以上経っており、最も信頼できる資料は370年以上経っていると言われています。
わたしたちはアレクサンダー大王が実在の人物であったことを疑っていないでしょう。
アレクサンダー大王の生きた時代から何世紀も後に書かれた資料しかないのにわたしたちが彼の実在を認めるなら、イエスが生きたのと同時代に書かれた豊富な歴史資料=新約聖書によってイエスの実在を受け入れるのは当然のことではないでしょうか。
歴史上の人物に関しては科学的実験での証明は不可能
もしかしたら、科学的実験で証明されなくては証拠にならないという方もいるかもしれませんが、その方法論は人文科学の分野、特に歴史にはあてはまりません。
歴史上の人物のだれも、科学的実験ではその実在を認めてもらうことはできません。
本人がもはやいないからです。
イエスが実在したって信じたいだけ?
クリスチャンはイエスが実在したって信じたいだけでしょ?
イエスの実在に関しては、古代において異例な程の歴史資料が現存しています。
それらを前にしても、イエスの実在を否定するなら、それは証拠に目をつぶって「イエスが実在しなかったと信じたい」からではないでしょうか。
安心してください。
イエスの実在を認めるか否かは、キリスト教が伝える通りにイエスを神の子、救い主と受け入れるかどうかとは別の話です。
だれも、うそのために死ねない!弟子の殉教が証明するイエスの実在
最後に、イエスの12弟子たちのことをお話して、このセクションを終えましょう。
イエスの12弟子たちは、ほぼ全員が殉教したと伝えられています。
後から加わったパウロという有名な弟子も殉教したと言われています。
人間はだれも、うそのためには死ねません。
イエスの直弟子たちがみな、イエスを信じ、伝えるために喜んで死んだ事実が、イエスの実在の証明となっています。
さらにいえば、イエスが本当に復活したことの証明となっています。
イエスが存在しなければ、本当に復活しなかったなら、イエスの弟子たちにはイエスのために命をかける理由も必要もどこにあったでしょうか。
イエスを否定すれば生き延びられる状況で、もしイエスが本当には実在せず、よみがえってもいなかったなら、イエスの弟子たちはみな信仰を捨てたことでしょう。
しかしイエスの弟子たちは殉教を選びました。
イエスが実在し、彼ら自身のために死んでよみがえったことで、イエスが彼らに天国と復活と永遠の命を与えてくださったからです。
まとめ
この記事では、ここまでイエスの実在に関して、聖書以外の歴史資料から始まり、最大の歴史資料である新約聖書についても解説してきました。
イエスの実在を証明する証拠が聖書以外にも、聖書の中にもあることをお分かりいただけたのではないでしょうか。
これほどに確かな歴史資料を否定しては、どんな歴史上の人物の実在も証明しえないでしょう。
でも、イエスの実在を受け入れるだけではなく、ぜひ、そこからさらに進んでイエスを神の子、救い主と信じていただきたいとわたしは願っています。
神の子、救い主イエスは、単にこの世に存在しただけではなく、あなたやわたしを愛して、十字架の上で命を捨ててまで、わたしたちが罪から救われ、天国と永遠の命を受けることをお望みになってくださったからです。
イエスの愛ほど素晴らしいものはこの世に存在しません。
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