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イエス・キリストは今どこで何をしているんですか?【キリスト教Q&A】

聖書

 

女性
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イエス・キリストは今どこで何をしているんですか?


こんな疑問にお答えします。

本記事の内容

 

  • イエス・キリストは今どこにいるのか?
  • イエス・キリストは今何をしているのか?


本記事の信頼性

  • 筆者は、クリスチャン歴40年以上
  • 約20年間の牧師としての経歴
  • キリスト教の主な著作を読んで得た知識

 

キリストさん
キリストさん

この記事を読むと、イエス・キリストは今どこで何をしているかがざっくりと分かります。

 

カンタンに解説しますので、ぜひ、最後までご覧ください。

イエス・キリストは今どこで何をしているんですか?【キリスト教Q&A】

イエス・キリストは今どこにいるのか?
→父なる神の右に座している。

イエス・キリストは今何をしているのか?
→神公認の救い主として、預言者、祭司、王の三職を果たしている

それぞれに解説していきます。

イエス・キリストは今どこにいるのか?

イエスは復活した後、天に昇り、父なる神の右の座に着きました。

今もその状態は変わっていません。

御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。   (ヘブル人への手紙1章3節)

イエス・キリストは今何をしているのか?

イエスが今何をしているかは、何をしていないのかを先にお伝えすると分かりやすいため、まずイエスが現在何をしていないのかを解説いたします。

イエスは今何をしていないのか?

神の子イエスはもはやわたしたちを罪から救うための働きをしていません

イエスは父なる神から救い主としてこの世に送られた使命(わたしたちを罪から救うこと)を十字架で見事に成し遂げたからです。

神からこの世に送られたイエスが天に帰り、神の右に着座した事実は、イエスが地上で行うべきであったすべての救いの働きが完成したことを鮮やかに示しています。

イエスの十字架の救いはわたしたちを救うために十分であるため、イエスはわたしたちを罪から救うための一切の働きを終えて、ある意味で休息しています。

そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。       (ヘブル人への手紙1章3節)

イエスは今何をしているのか?

イエスは十字架で救いを成し遂げましたが、その救いを全人類に伝え、適用する働きはまだ残っています

神公認のキリスト(救い主)として、現在イエスはおもにそのために働いているのです。

神公認の救い主としての、イエスの三重の職務~預言者、祭司、王~

神の子イエスは救い主としてこの世に送られました。

約30歳の頃、イエスは天から聖霊を注がれて、救い主としての活動をスタートしました。

そして、イエスは十字架と復活によって救いを成し遂げて天に昇り、神の右に座ったのです。

イエスは父なる神から聖霊を限りなく注がれ、神公認のキリスト(救い主)として公に立てられました。

イエスの弟子のペテロは、イエスが天に昇ってから10日後のペンテコステの日のメッセージで明確にそう語っています。

「だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。
(使徒行伝2章36節)

神公認のキリストであるイエスは、預言者、祭司、王の働きを行います。

預言者、祭司、王は、旧約聖書の時代、油注がれて神のための働きをした人々です。

イエスは神が約束したキリスト(「油注がれた者」という意味を持つメシアのギリシャ語訳)として、イエスの登場以前の油注がれた預言者、祭司、王の三重の職務を一人で果たします。

しかも、イエスはただの預言者、祭司、王ではなく、

  • 最高の預言者
  • ただ一人の大祭司
  • 永遠の王

なのです。

イエス・キリストの預言者職~わたしたちに神の心を示す~

イエスはわたしたちに神がどんな方かを教えてくれる

イエスはわたしたちに神がどんな方かを教えてくれる

神の子イエスは最高の預言者として、わたしたちに神がどんな方か、神のわたしたちに対するお考えは何かを教えてくれます。

聖書の「預言者」は、「言葉を預かる」と書くように、単に未来に起こる出来事を予め告げる人ではありません。

預言者のおもな役目は、神からの言葉を預かって人々に伝えることでした。

実際、旧約聖書の時代に神から送られた預言者たちは、神の民イスラエルに神のメッセージを伝えたのです。

神の子イエスは最高の預言者として、神とその救いの計画をそれまで誰もできなかったレベルで明らかにしました。

神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、

この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。
(ヘブル人への手紙1章2節)

※「御子」とは、神の子イエスのことです。

神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。         (ヨハネによる福音書01章18節)

※「ひとり子なる神」とは、神の子イエスのことです。

神の子イエスは、特にわたしたちの罪を負い、わたしたちの身代わりに十字架で罪の罰として死ぬことによって、

  • 神がわたしたちを愛していること
  • 罪から救おうと願っていること
  • 永遠の命を与えようと望んでいること

を明らかにしました。

そして、イエスが現した神の愛と救いは新約聖書にまとめられました。

イエスが現した神についての知識は、究極的、最終的な内容だったため、紀元1世紀の終わりに新約聖書27巻が完成してから、誰も28冊目を付け加えてはいません。

その必要性も全くありません。

イエスが伝えた神の愛と救いのメッセージは、わたしたちを救うために十分であり、わたしたちが神を信じて生きていくために必要なことは聖書に書いてあるからです。

残っているのは、聖書に書かれている神の子、救い主イエスの愛と救いのメッセージを世界中に伝えることだけです。

天に昇る前、イエスは弟子たちに世界中に出て行って、神の愛と救いのメッセージを伝えるように命じました。

しかしイエスは、弟子たちに全部を任せて、自分はもう何もしていないのではありません。

新約聖書の『使徒行伝』には、イエスの昇天後に弟子たちがイエスが成し遂げた救いを地中海世界に広めていったことが書かれていますが、弟子たちを通して人々の心に救いのメッセージを届けていったのは、実はイエスだったのです。

聖霊と聖書の言葉を通して、イエスは人々の心に語りかけ、人々がイエスを信じて、永遠の救いを得るように導きました。

使徒行伝の中に、イエスの弟子パウロがピリピの町でイエスの救いについて語った場面が描かれています。

ある安息日に、わたしたちは町の門を出て、祈り場があると思って、川のほとりに行った。そして、そこにすわり、集まってきた婦人たちに話をした。

ところが、テアテラ市の紫布の商人で、神を敬うルデヤという婦人が聞いていた。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに耳を傾けさせた。

そして、この婦人もその家族も、共にバプテスマを受けたが、その時、彼女は「もし、わたしを主を信じる者とお思いでしたら、どうぞ、わたしの家にきて泊まって下さい」と懇望し、しいてわたしたちをつれて行った。            (使徒行伝16章13-15節)

パウロのメッセージを通して、ルデヤの心を開き、パウロの語る救いのメッセージに耳を傾けさせ、信じるように導いたのは、「主」(イエスのこと)でした。

イエスは今も、教会やクリスチャンの働きを通して、神の愛と救いのメッセージを世界中の人々に届ける働きを続けています。

 

キリストさん
キリストさん

わたしたちが聖書を読んだり、礼拝で聖書の話を聴いたりするとき、イエスはわたしたちが神の愛と救いのメッセージを理解できるように助け、わたしたちの心になぐさめ、励まし、喜び、希望を与えてくれるのです!

イエス・キリストの祭司職~十字架の救いに基いて、とりなす~

大祭司イエスはわたしたちのために自分を犠牲としてささげた

大祭司イエスはわたしたちのために自分を犠牲としてささげた

神の子イエスは大祭司として、十字架の救いに基づいてわたしたちのために神に祈ってくれています。

ちなみに聖書では、他の人のために神に祈ることを「とりなす」と言います。

だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。                                                                          (ローマ人への手紙8章34節)

 

そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。    (ヘブル人への手紙7章25節)

※「彼」は、神の子イエスのことです。

大祭司イエスは、自分自身をわたしたちの身代わりに十字架の上で犠牲としてささげることによって、創造主とわたしたちの間の罪の問題を解決してくれました。

そして、十字架の救いに基づいて、今もわたしたちのためにとりなしの祈りをささげていてくれるのです。

たとえば、

イエス
イエス

父なる神様、わたしが〇〇の罪のために十字架で死にました。

 

どうぞ〇〇の罪を赦(ゆる)してください。

という風に祈っていてくださるのです。

十字架にかかる前夜、イエスがそのときいっしょにいた弟子たちや、これから弟子になる人たちのために祈った言葉が、ヨハネの福音書17章に書かれています。

イエスの「大祭司の祈り」と呼ばれています。

この個所を読むと、イエスが今わたしたちのためにどんな祈りを神にささげていてくれるかが少し分かるのです。

わたし自身がとても感動したのは、ヨハネの福音書17章24節のイエスの祈りの言葉です。

父よ、あなたがわたしに賜わった人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。天地が造られる前からわたしを愛して下さって、わたしに賜わった栄光を、彼らに見させて下さい。

神の子イエスは、自分がいる場所(天国)にわたしたちもいっしょにいれるようにしてください、そして神の子イエスの輝かしい栄光をわたしたちが見れるようにしてくださいと、父なる神に祈ってくれました。

聖書の中でも、わたしが最も好きで、読むたびにいつも感動する言葉の一つです。

あなたやわたしがイエスのいる天国に行って、父なる神がイエスにあたえた素晴らしい栄光の輝きを見ることができるように、神の子イエス自身が祈ってくれたのです!

イエスは大祭司として、今もわたしたちが天国に行けるように祈っていてくださいます。

なんて心強く、うれしいことでしょうか!

イエスを信じる人生は、大祭司イエスの祈りに包まれて生きる幸いな歩みです。

そして、聖書が大祭司イエスについて言っていることをもう一つご紹介いたします。

この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。                (ヘブル人への手紙4章15節)

 

そこで、イエスは、神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、民の罪をあがなうために、あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった。

主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。         (ヘブル人への手紙2章17-18節)

イエスは決して罪は犯しませんでしたが、人として生まれたため、人間に共通する弱さを持っていました。

そして、イエスはわたしたちと同じように試練に会ったため、わたしたちの弱さを思いやったり、わたしたちが試練に会うとき、わたしたちを助けることができるのです。

 

男性
男性

こんなことを言ったら、イエスにしかられるんじゃないか?

とためらったり、

女性
女性

イエスはこんなわたしを受け入れてくれないんじゃないか?

と悩む必要はありません。

他の誰かがわたしたちを拒絶し、受け入れないとしても、イエスがわたしたちを拒むことはありません。

神の子イエスはこの世の誰よりもわたしたちを愛し、わたしたちの弱さに共感し、他のどんな人よりもわたしたちを理解し、助けてくれるのです。

 

キリストさん
キリストさん

愛に満ちた大祭司イエスがわたしたちの今と永遠のためにいつも祈ってくれると考えると、本当に心がなぐさめられ、励まされ、生きる勇気があたえられますね!

イエス・キリストの王職~父なる神の世界支配の代行、教会のかしら~

イエスはわたしたちを守ってくれる

イエスはわたしたちを守ってくれる

イエスは永遠の王としてわたしたちを守っていてくれます。

復活したイエスは、父なる神から全世界を治める権威を与えられました。

イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。」        (マタイによる福音書28章18節)

父なる神の右の座に着いたイエスは、父なる神の世界支配を代行しています。

古代において、王の右の座に着いた者は、王の統治を代わりに行ったからです。

イエスが父なる神の右に座ったのは、左よりも右が好きだったからではなく、イエスが父なる神の世界支配を代行する役目を担ったためでした。

イエスは「王の王、主の主」です。

英語のhistoryという単語は、イエスが永遠の王として世界の歴史を治め、そのゴールに導いている現実を映し出しています。

historyは、His(イエスの) story(ストーリー)なのです。

西暦も永遠の王イエスの統治を反映しています。

歴史はイエス・キリスト誕生前のBC(Before Christ、キリスト以前)とAD(Anno Domini、主の年に)に分けられています。

今わたしたちは永遠の王イエスが統治し、導いている時の中を生きているのです。

そして聖書は、イエスが「教会のかしら」でもあると教えています。

彼を、すべての支配、権威、権力、権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのである。

そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。

この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。 (エペソ人への手紙1章21-23節)

※「彼」とは、神の子イエスのことです。

教会のかしらであるイエスは、キリスト教会の活動を通じて地球上のあらゆる民族に神の愛と救いのメッセージを届けるために今も働いています。

そして、キリスト教会とクリスチャンたちを迫害やさまざまな危機から守り、支えているのです。

キリスト教の歴史は迫害の歴史と言われます。

たとえば、キリスト教の最初の300年間、クリスチャンたちはローマ帝国の中で激しい迫害を受けてきました。

クリスチャンたちが最初の数世紀に絶滅せず、今や世界で最も多くの人々が信じる宗教となっているのは、永遠の王イエスが守り、祝福してくださったからです。

 

キリストさん
キリストさん

イエスは王として、21世紀のわたしたちのことも守ってくれます。

 

先行きが不透明で、将来の予測が困難な時代にあって、愛に満ちた王イエスがそのまなざしをわたしたちに注ぎ、力強く支え導いてくれるのは、本当にたのもしく、心強いですね!

まとめ:イエスの預言者、祭司、王としての働きを信頼して生きていきましょう!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。いかがでしたか。

この記事では

  • イエス・キリストは今どこにいるのか?
  • イエス・キリストは今何をしているのか?

について解説してきました。

神公認のキリスト(救い主)であるイエスは、

  • 最高の預言者としてわたしたちに神の愛と救いを教え、
  • ただ一人の大祭司としてわたしたちのためにとりなし、
  • 永遠の王としてわたしたちを守り導いてくれます。

イエスこそ、まさにわたしたちが必要としている方です。

イエスの三職(預言者、祭司、王)の働きを信頼して生きていきましょう!

この記事を読んで、イエス・キリストや聖書についてもっと知りたい方は、ぜひ、他の記事も読んでみてください↓↓

 

ABOUT ME
キリストさん

                                   ● クリスチャンの家に生まれ育ち、プロテスタントの牧師になるための神学校卒業後、約20年間牧師として教会で働く。
                                   
● 2024年、キリスト教の素晴らしさを伝えるためにこのブログを開始。

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