キリスト教では、いつ祈るんですか?
何か決まりはありますか?
いつ祈ったらいいのか、教えてください。
こんな疑問にお答えします。
✔本記事の内容
- 祈りの決まった時間はない
- おすすめの祈りの時間
- 聖書の人々はいつ祈ったのか
- 神との会話である祈りはじょじょに増えていく
- 祈りは信仰の成長の大切な手段
✔本記事の信頼性
- 筆者は、クリスチャン歴40年以上
- 約20年間の牧師としての経歴
- キリスト教の主な著作を読んで得た知識
この記事を読むと、いつ祈ったらいいのかがよく分かります。
カンタンに解説しますので、ぜひ、最後までご覧ください。
【祈りのタイミング】神にいつ祈ったらいいの?【キリスト教Q&A】
祈りの決まった時間はありません。
いつでも神に祈って大丈夫です!
ただ、まだ祈ったことがない初心者の方に、おすすめの祈りの時間があるのでご紹介いたします。
- 朝
- 夜
- 食事前
- 大事なときの前
- 試練や病気の人のための祈り
それぞれ解説していきましょう。
おすすめの祈りの時間
朝
起床後、一日の活動を始める前に神に祈ることをおすすめします。
たとえば、
天の父なる神様、
御名(みな)を賛美します。
夜の間もお守りくださり、ありがとうございました。
今日も一日、どうか守り、導いてください。
イエス様の御名でお祈りします、アーメン。
※「御名」とは、名前のことです。神様の名前をたたえるのは、神様を賛美するのと同じです。
この祈りだと、ゆっくり祈っても30秒かからないと思います。
このくらいの短い祈りでOKです。
祈りの長さは祈りの良し悪しとは関係ありません。
もちろん、時間にゆとりがあれば、もっと祈ってもかまいません。
そして、その日に学校や仕事で大事なこと(試験、会議など)があれば、神様の祝福と守りを願いたいと思うのは当然ですから、そのために祈るとよいでしょう。
朝祈るクリスチャンは多く、静かな朝は「祈りのベストタイム」と言えます。
睡眠を取って、頭がすっきりしているため、祈りにも集中できます。
何より、神様に祈ることから一日を始めると、神様を意識して生活ができるのです。
ただ、
起きたばかりだと、どうもわたしは頭がしゃっきりしません。
出かける前は、どうしても気持ちの面でも忙しくて、集中できないんです。
という方々もいるでしょう。
その場合は、たとえば、家を出発した後、通学、通勤のバスや電車の中で、上記の祈りを口には出さず、心の中で唱えてみるのはどうでしょうか?
家族のお弁当の準備で早起きしなければならず、家族が出かけるまで落ち着きません。
ご家族を見送った後、ゆっくりと祈りの時間を持ってはいかがでしょうか?
いつ祈らなくてはならないという決まりはありません。
ご自分の生活に合わせて、どうぞ工夫してみてください。
一般的にも朝活が流行ったり、マインドフルネスやメディテーションを実践する方々がいます。
もし可能なら、少し早めに起きて、聖書を読み、祈ると、一日を充実して過ごせるため、おすすめです。
夜
一日の終わりに神様に祈るときを持つことをおすすめします。
たとえば、
天の父なる神様、
御名を賛美します。
今日、わたしが犯した罪をどうかおゆるしください。
わたしと家族を守ってくださって、ありがとうございました。
特に、〇〇のときに助けてくださって、感謝します。
入院中の〇〇さんの治療を祝福してください。
今から寝ますが、夜の間もどうかお守りください。
イエス様の御名を通してお祈りします、アーメン。
罪を告白し、霊的な健康を回復するチャンス
一日の最後の祈りは、神様の前で自分の罪を告白し、霊的な健やかさを取り戻す機会です。
日中、わたしたちは思いと言葉と行いで罪を犯しています。
たとえば、人を傷つける言葉を口にしてしまったかもしれません。
そういったことのために、いつのまにかわたしたちの心は重くなっています。
救い主イエス様がわたしたちの身代わりに十字架にかかって罪の罰を受けてくださったおかげで、神様はわたしたちのそんな罪をゆるしてくださいます。
神様に打ち明け、神様からのゆるしをいただくことで、わたしたちは霊的な健康を回復できるのです。
具体的な感謝
昼間の間、具体的に神様が助けてくれたことがあったら、そのことに感謝しましょう。
試験や会議など、重要な場面の前に神様に祈って、神様がその祈りをかなえ、助けてくれたら、神様に感謝することを忘れないでいたいですね。
とりなしの祈り
キリスト教では、他の人々のための祈りを「とりなしの祈り」と呼んだりします。
もし家族や友人、イエスを救い主と信じる神の家族である教会の兄弟姉妹、あるいは学校のクラスメート、職場の同僚などに病気で苦しんでいる方、試練にあっている方がいるなら、その方々のために神に願いましょう。
自分の家族や友人、職場の方などで、イエスを救い主と信じていない方がいるなら、彼らもイエスを信じ、素晴らしい救いを経験できるように祈るとよいでしょう。
自分自身のための願い
明日、学校や職場で起こることが不安であったり、何か心配事があるなら、神様に遠慮なく打ち明けることができます。
神様がきっと何とかしてくださる!
神様に打ち明けることで、神様からの不思議な平安が心にあたえられます。
神様にお任せして、安心して眠れます。
夜は時間に追われておらず、朝に比べて時間が取りやすいため、色々と書きましたが、遅くまで残業して疲れていたり、眠くて仕方がないという方もいるでしょう。
その場合は、
神様、今日も感謝します。
明日もどうかお願いします。
イエス様の御名で祈ります、アーメン。
だけでも結構です。
どうぞ無理せず、祈りが少しずつ日常の生活に入ってゆくようにしてください。
食事の前
クリスチャンたちは食事の前に祈りをささげてきました。
わたし自身も子どもの頃に母から食前の祈りを教えられ、それ以来、食事の前に祈っています。
たとえば、
天の父なる神様、
御名(みな)を賛美します。
この食事をお与えくださり、ありがとうございます。
イエス様の御名でお祈りします、アーメン。
わたしが子どもの頃、父はわたしが起きる前に仕事に出かけ、わたしが寝た後に帰宅していたため、週末にしか顔を合わせる機会がありませんでした。
そのため、母から父のために祈るように勧められて、食前の祈りでは、食事の感謝だけではなく、父のためにも祈っていました。
離れて住んでいる祖父母のためにも祈りをささげました。
もし朝や夜に時間が取れないなら、食前の感謝の祈りに他の人たちのために祈る「とりなしの祈り」を加えてしまってもよいと思います。
料理を作ってくれた方への祝福と感謝も加えるとよいでしょう。
たとえば、
この食事を作ってくれたお母さんに祝福がありますように。
と祈ってみてください。
学校や職場でどう祈るか?
食前の感謝の祈りについて書くとき、忘れてはならないのが、学校や職場でどのように祈るかということです。
何のためらいもなく、ガシッと手を組んだお祈りのポーズで祈れる方もいるでしょう。
どうぞそのまま続けてください。
実は、わたしの母がクリスチャンになったきっかけは、食堂で祈っていたクリスチャンの男性がいて、その方から聖書の話を聞き、教会に誘われたことでした。
わたし自身も、お祈りではありませんが、「クリスチャン手帳(正式名称は忘れました・・・)」のようなアイテムをテーブルの上に出していたところ、それを見たある女性が話しかけてくれて、結果、その方はクリスチャンになったという経験をしたことがあります。
こういった経験があるため、わたし自身はクリスチャンがどこでも食前の感謝の祈りをささげることには賛成です。
信教の自由は人権のかけがえのない一部であり、憲法で保証されてもいます。
キリスト教に関心を持っている方が、キリスト教に接する最初のきっかけとなるかもしれません。
ただ、周囲の目が気になってしまうという方もいるでしょう。
その場合は、一瞬だけ目を閉じ、
神様、感謝します!
と心の中で言うだけでもOKです。
手を組む必要はありません。
目は閉じても、閉じなくても大丈夫です。
神様はどこにでもいます。
神様に祈るのに特別な準備は必要ありません。
周りのクラスメートや職場の同僚に話しかけるのと同じように、
神様、ありがとうございます!
と一言心の中で神様に話してみてください。
ある宣教師の方が、
クリスチャンになって、食前の感謝の祈りをささげるようになってから、食事がおいしくなった。
と言っていました。
ぜひ、試してみてくださいね!
大事なときの前
学校の試験や職場の重要な会議の前など、個人的に大事なイベントの前には、不安も感じるでしょうから、ぜひ、神様に祈ってみてください。
もちろん、神様に祈れば試験勉強をしなくても良い成績が取れるとか、プレゼンの準備をしなくても上手くいくわけではありません。
自分としてベストを尽くした上で、
神様、どうかあなたがよいとお考えになるなら、勉強(準備)の成果を出せますように祝福してください。
成功させてください。
と祈ってみてください。
この後で記しますが、イエス・キリストも人生の分岐点、重大な転機で神に祈りをささげました。
進学、就職、転職、結婚、出産など、自分のその後の人生を決定づけるターニングポイントでは、神様の御心(お考え)と導きを求めて祈りをささげることをおすすめします。
試練や病気の人たちのための祈り
この部分は、いつ神に祈ったらいいのかとは直接関係ありませんが、ぜひ、お伝えしておきたいと思い、付け加えました。
家族や友人、職場の知り合い、イエスを信じる神の家族である教会の兄弟姉妹の中には、人生の試練の中で苦しんだり、病気で入院したりしている人たちがいるでしょう。
試練の中にある人のためには、彼らが逆境の中で忍耐し、乗り越えてゆける力と知恵、導きが与えられるように祈ってはどうでしょうか。
病気の人のためには、医療が祝福され、健康が回復するように、どうぞ彼らの代わりに、彼らのために祈りをささげてあげてください。
わたしたちが誰かのために神に祈ることは、わたしたちが他の人のためにできる最高の隣人愛のひとつです。
神はわたしたちが自分自身のために祈るだけではなく、神がわたしたちの人生に置いてくれた人たち、神が出会わせてくれた人々のために祈ることをお望みになっているのです。
わたしたち自身が気づかなくても、これまでわたしたち自身も誰かに祈られてきました。
今度はわたしたち自身が他の人たちのために祈る番ではないでしょうか。
いつ神に祈らなくてはならないという決まりはありません。
自分の生活に合った時間から、ぜひ、お祈りを始めてみてくださいね!
【参考】聖書の時代の人々はいつ祈ったのか?
参考までに、聖書の時代の人々はいつ祈ったのかをご紹介いたします。
旧約聖書~ダビデ、ダニエル、詩篇作者~
①旧約聖書に登場するダビデ王は、朝、神に祈りをささげました。
②ダビデは夜にも神に祈りました。
わたしが床の上であなたを思いだし、夜のふけるままにあなたを深く思うとき、わたしの魂は髄とあぶらとをもってもてなされるように飽き足り、わたしの口は喜びのくちびるをもってあなたをほめたたえる。 (詩篇63:5)
③『ダニエル書』に登場するダニエルは、1日3回神に祈っていました。
④旧約聖書の『詩篇』の作者は、1日7回神を賛美しました。
賛美は歌う祈りともいわれますので、毎日7回祈ったと言ってもいいでしょう。
(詩篇119:164)
新約聖書~イエス・キリスト~
新約聖書からは、神の子、救い主イエス・キリストの祈りを取り上げます。
①イエスは、朝、神に祈りました。
朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。 (マルコによる福音書1:35)
天の父である神との交流がイエスの活動の原動力であり、支えであったのです。
②イエスは夜にも祈りました。
特に、自分の直弟子である12弟子を選ぶ前には、徹夜で祈りをささげたのです。
このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。
夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった。 (ルカによる福音書6:12-13)
12弟子は、イエスが十字架にかかり、三日目に復活し、天に帰った後で、キリスト教会のリーダーとなる者たちだったのです。
イエスの地上での働きを引き継ぐ者たちでした。
そういう意味で、イエスにとって、12使徒の任命は重要な出来事であり、イエスはその大事なことの前に徹夜で祈ったのです。
③イエスは自分の使命を確認するために神に祈ったこともありました。
イエスが5つのパンと2匹の魚を奇跡的に増やして、男性だけで5000人の人々を満腹させた後のことです。
イエスの奇跡を目の当たりにした人々は、イエスをローマ帝国に反旗を翻(ひるがえ)す軍事的革命のリーダーに祭り上げようとしました。
その頃のユダヤ人が期待していたのは、そういう救い主だったのです。
しかしイエスは、群衆を解散させて、祈るために一人で山に登りました。
イエスがこの世に来たのは、一つの民族を政治的に解放するためではなく、世界中の人々を罪から救うためでした。
それでイエスは、人々から軍事的指導者の役割を期待されたとき、神と一人で祈る時間を取り、本来の自分の使命を確認したのです。
わたしたちも神との祈りの時間を取ることで、自分の使命や働きを再確認し、神からあたえられた使命や働きに忠実であり続けることができます。
④イエスは十字架にかかる前の夜、ゲツセマネの園で神に徹底的に祈りました。
36: それから、イエスは彼らと一緒に、ゲツセマネという所へ行かれた。そして弟子たちに言われた、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここにすわっていなさい」。
39: そして少し進んで行き、うつぶせになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。(マタイによる福音書26:36,39)
イエスはわたしたちの罪のために身代わりに十字架で死ぬためにこの世に来ました。
十字架にかかる前夜、イエスは徹底的に神に祈って、自分が十字架でわたしたちの身代わりに死ぬことこそ、わたしたちを罪から救う神の計画だということを最終的に確認し、十字架に向かう覚悟をかためたのです。
そして、わたしたちのために、雄々しく勇敢に十字架に進んで行きました。
旧約聖書と新約聖書の人々がいつ祈ったかをざっとご紹介しました。
1日3回とか、7回の祈りなんて、大変そうだな。
わたしにはムリ・・・。
と思ったかもしれません。
大丈夫です。
大事なポイントは回数ではなく、
神を信じる人たちが、
- 神との祈りの交流を楽しみ、喜び、人生の支えとしていたこと
- 神に定期的に祈る「祈りの習慣」を持っていたこと
- 特に人生の転機に神に祈ったこと
です。
ぜひ、参考にしてください。
祈りは神との会話~祈るときはじょじょに増えていく~
祈りは神との会話、神とお話をすることです。
まだ祈ったことがないときは、祈りが生活の中に組み込まれていませんから、
祈りを続けていけるかなー。
と思うかもしれません。
安心してください!
聖書を読んで、神について知るにつれて、自然に祈るときが増えていきます。
人間関係とある意味で似ていて、神とのお付き合いを始め、続けていくと、神との会話、お話の時間はじょじょに増えていくのです。
まずは上記のいくつかのタイミング(朝、夜、食前など)の中から、自分に合った祈りの時間をセレクトして、祈り始めてみてください。
どんな悩みや苦しみ、他のだれにも言えない秘密も、神には安心して打ち明けられます。
神と二人きりの時間は、きっとあなたの人生を支える大黒柱のような大切なときになりますよ。
祈りは信仰の成長のための大切な手段の一つ
祈りは「魂の呼吸」とも言われます。
わたしたちの身体が呼吸なしには生存できないように、わたしたちの魂も創造主である神との会話、対話なしには健全に生きてはいけないということです。
逆に、魂の呼吸である祈りを通して、わたしたちの信仰は成長していきます。
伝統的に、聖書を読むことと共に、祈りは神の「恵みの通常の手段」と呼ばれてきました。
神はわたしたちが聖書を読み、祈ることを通して、わたしたちに恵みを与え、わたしたちの信仰を育てていってくださるということです。
そういう意味でも、祈りは大事です。
祈れば祈るほど、祈りが上達し、神との会話にも慣れていきます。
神を信じる信仰も強くなっていくのです。
まとめ:祈りの生活をスタートしていきましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。いかがでしたか。
この記事では、
- 祈りの決まった時間はない
- おすすめの祈りの時間
- 聖書の人々はいつ祈ったのか
- 神との会話である祈りはじょじょに増えていく
- 祈りは信仰の成長の大切な手段
について解説してきました。
いつ神に祈ったらいいのか、おわかりいただけたことでしょう。
あなたが祈りを始めるきっかけとなれば幸いです。
祈りには、
- 決まった時間はなく、いつでも神に祈れます。
- 朝、夜、食前、大事なときの前がおすすめです。
- 聖書の人々は神との交流を楽しみ、習慣的に祈り、特に人生の転機で祈りました。
- 祈りは神との会話であり、神と付き合う中で自然に祈りの時間が増えていきます。
- 祈りは魂の呼吸、恵みの手段であり、祈ることを通して信仰が成長してゆくのです。
あなたが創造主との会話を始め、やがて祈りの習慣を確立し、祈りがあなたの人生の原動力、支えとなってゆくように、何より、天の父との祈りの交流を楽しめますように願っています。
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