神の摂理(せつり)って、何ですか?
こんな疑問にお答えします。
✔本記事の内容
- 神の摂理の意味を解説【摂理は英語でなんて言うの?】
- 神の摂理(保持、統治、奇跡)
- 神の摂理のゴールとは?
- イエス・キリストの父なる神の摂理~わたしたちを愛するお方の摂理~
- 神の摂理をどのように受け止めたらいいか?
✔本記事の信頼性
- 筆者は、クリスチャン歴40年以上
- 約20年間の牧師としての経歴
- キリスト教の主な著作を読んで得た知識
この記事を読むと、神の摂理とは何かがざっくりと分かります。
カンタンに解説しますので、ぜひ、最後までご覧ください。
【わかりやすく解説】神の摂理(せつり)とは何ですか?【キリスト教Q&A】
神の摂理の意味を解説
神の摂理とは、「創造主である神がご自分の造った世界と人間を保ち、治めることです」
キリスト教の歴史の中に「理神論(りしんろん)」という考え方が登場しました。
時計を作った後、時計職人が時計の動くままに放っておくように、世界を創造した後、神は世界をその法則のままに放っておかれ、介入しないと、理神論は主張します。
しかし、創造主はご自分が造った世界と人間に深い関心を寄せ、今も現実に全能の力を働かせて関わっていると、聖書は教えているのです。
神の摂理は英語でなんて言うの?
神の摂理は、英語でProvidence(プロヴィデンス)と言います。
神の摂理~保持、統治、奇跡~【聖書から解説】
神の摂理は保持と統治に分けられます。
神が世界を治める方法の一つとして、以下に奇跡も取り上げましょう。
保持~わたしたちが滅びないように保つ神の愛と力~
創造主は世界と人間を造っただけではなく、被造物(ひぞうぶつ、世界と人間のこと)が滅びないように、継続して保ってくださっています。
神に造られた世界が人間の罪への堕落後も滅びず、今ある状態に保たれているのは、神の愛と力のおかげなのです。
統治~神は世界の王~
目には見えなくても、創造主は今もご自分が造った世界を治め、歴史を究極のゴールに向けて力強く導いています。
(詩篇103:19)
※「主」とは、神のことです。
神の支配は国々の盛衰から二羽セットでなければ値がつかないすずめにすら含みます。
二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。
またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。
それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。
(マタイによる福音書10:29-31)
神の主権と人間の責任~神は人間の自由意志や責任を侵害しない~
神が世界とそこに住む人間を治めているとお伝えすると、
人間の意志の自由や責任はどうなるの?
と疑問に感じる方もいるでしょう。
神はご計画に従ってこの世の歴史を導いていますが、ご自分が造った人間の自由意志を侵害することはしません。
神は100%主権をもって働きますが、人間の自由意志を100%尊重する仕方で働くのです。
ですから、人間は自分がしたことを神に責任転嫁することはできず、自分の言動の責任を負わなくてはなりません。
この世界に起こる犯罪や戦争を見聞きして、神のせいにすることもできないのです。
万事を益とする神~神はマイナスからプラスを生じさせてくださいます~
神は良いお方ですから、悪を積極的に計画することはしません。
しかし神はわたしたちのために、この世の悪や苦しみから善を生み出してくださいます。
「万事」には良いことも悪いことも含まれます。
神はわたしたちの人生に起こるマイナスの中からプラスを生じさせてくださるのです。
なぐさめと希望に満ちたこの教えの具体例を旧約聖書と新約聖書からご紹介しましょう。
創世記に登場するヨセフは、兄弟たちから嫉妬され、エジプトに奴隷として売られてしまいました。
ヨセフの不運はまだ続きました。
エジプトでヨセフは主人に忠実に働いていたのに、無実の罪で牢屋に入れられてしまったのです。
しかし神はどんなときにもヨセフといっしょにいて、ヨセフを支え祝福してくださいました。
ヨセフは牢屋でエジプト王に仕えていた2人の家来の夢を解き明かし、そのことがきっかけとなって、エジプト王の悪夢の意味を解き明かすこととなったのです。
エジプト王の見た悪夢は、7年間の豊作の後で7年間の飢饉がエジプトと周辺諸国を襲うという内容でした。
ヨセフの知恵に驚いたエジプト王は、ヨセフをエジプトの大臣に任命しました。
ヨセフは豊作の年にたくさん計画的に貯え、飢饉のときにエジプトと周辺諸国の人々が飢えないようにしたのです。
飢饉の最中に、ヨセフの兄弟たちも周辺諸国の人々と共にエジプトに食料を買いにやって来ました。
ヨセフは兄弟たちを赦し、兄弟たちにこう言ったのです。
神はヨセフの兄弟たちの悪(ヨセフにとってのマイナス)から多くの民の命を救うという善(プラス)を生み出してくださったのです。
神の子、救い主イエス・キリストは罪がなかったのに、その頃のユダヤ教の宗教指導者たちにねたまれ、ローマ総督ポンテオ・ピラトにローマ帝国への反逆罪で訴えられました。
総督ピラトはイエスが無罪だと主張しました。
しかし、宗教指導者たちに扇動(せんどう)された群衆が暴動を起こしそうな様子を見て、ピラトは自らの保身のためにイエスをむち打たせ、十字架で処刑させたのです。
イエスが殺されたのは、人々の悪と罪によりました。
しかし神はイエスの十字架によってわたしたちを罪から救うご計画を実現してくださり、悪から善を、マイナスからプラスを引き出してくださったのです。
まことに、ヘロデとポンテオ・ピラトとは、異邦人らやイスラエルの民と一緒になって、この都に集まり、あなたから油を注がれた聖なる僕イエスに逆らい、
み手とみ旨とによって、あらかじめ定められていたことを、なし遂げたのです。
(使徒行伝4:27-28)
罪のないイエスがわたしたちの罪を負い、わたしたちの身代わりに十字架の上で罪の罰を受けて死ぬことによって、わたしたちが罪から救われることは、神のご計画だったのです。
イエスを殺した罪は、宗教指導者たちや総督ピラトにあります。
神には一切の責任がありません。
イエスに対して行なわれた悪から、神は善を生み出し、マイナスからプラスを生じさせてくださったのです。
神はわたしたちを襲う悪や苦しみから良い結果を生み出してくださるのです!
奇跡~自然法則を造った方はそれを超えることも可能~
神は、通常の摂理においては、手段を用います。
創造主は、普通、ご自分の造った自然法則や人間の働きを通してこの世界を治め、導くのです。
神が何かをするなら、超自然的な奇跡でないといけない。
と思うのは、人間の勝手な思い込みです。
人間は自分たちの発明し、開発した技術を用いて、仕事をしています。
それが当然だと思っているでしょう。
神がご自分の創造した自然法則や人間の働きを通じて働くのも当然なのです。
しかし神は、ご自分がそうしようと考えるときには、何の手段も用いず、それを越え、またはそれに反して、自由に行動します。
自然法則を造った方は、それを超えることも可能なのです。
神の摂理のゴールとは?
神の摂理のゴールは、神の国(神の支配)の完成です。
目には見えなくても創造主は今もこの世界を治め、導いています。
そして、約2000年前に神は救い主イエス・キリストをこの世に送って、神の恵みと救いの支配を罪と悲惨(ひさん)に満ちた世界に始めてくれました。
ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、
「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。
(マルコによる福音書1章14-15節)
それ以来、多くの人々がイエスを救い主と信じて、神の愛と恵みの支配の下に入っています。
神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。
わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。
(コロサイ人への手紙1:13-14)
今やキリスト教は世界で最も多くの人々が信じる宗教となっています。
そして、神がこの世界の歴史を導くゴールである終わりの日には、神の国は完成し、全ての人が神を認めるようになるのです。
神は神の国の完成という目標を目指して、救い主イエス・キリストが約2000年前にこの世に来るまでは、イエスをこの世に送るために全てを導きました。
それ以後は、キリスト教会を成長、拡大させ、イエスが十字架の上で成し遂げた愛と救いの福音が地球上のあらゆる民族にまで届くように力強く導いているのです。
イエス・キリストの父なる神の摂理~わたしたちを愛するお方が治めている~
神が世界を治めていると聞くと、不気味に感じる方もきっといるでしょう。
そう感じる一番の原因は、神がどういうお方であるかを知らないからです。
正体不明で何を考えているのか分からない絶対的超越者の摂理だったら、不気味に感じても無理はありません。
しかし聖書が教えているのは、イエス・キリストの父なる神の摂理です。
生まれつきのわたしたちは創造主から離れて生きています。
キリスト教では、この状態を罪と言います。
罪こそ、この世界のあらゆる悲惨、苦しみ、悲しみ、痛み、死の根本原因です。
神はわたしたちがご自分を無視して生きているにもかかわらず、わたしたちを一方的に愛して、罪とその結末である滅びから救うために、ご自分の子をこの世に送ってくださいました。
そして、神はわたしたちを罪から救うために愛する子イエスを十字架の上で犠牲としてくださったのです。
聖書の教える神の摂理は、それほどにわたしたちを愛し、救おうとお考えくださっている父なる神の摂理です。
そして、創造主はイエス・キリストの十字架の犠牲によってわたしたちの罪を赦し、わたしたちをご自分の家族の一員として受け入れてくださいます。
神はわたしたちを愛して、わたしたちの永遠の救いのために、良いことも悪いことも含めた万事を益としてくださるのです。
このように受け止めていただくと、神の摂理を恐ろしく感じたり、不気味に感じたりする必要が全くないことをご理解いただけることでしょう。
わたしたちを愛してくださる父なる神がわたしたちに良いことをしてくださると、わたしたちは信頼できるのです。
イエスを十字架で犠牲としてくださったほどに愛してくださる父なる神の愛を思うとき、この世界でわたしたちに降りかかる悪や苦しみからさえも、神は良いことを生み出してくださるとわたしたちは心から信頼できます。
わたしたちを愛しているお方がこの世界を治めているのです!
神の摂理をどのように受け止めたらいい?~祈りつつ働き、どんなときも希望を抱いて~
神は万事を益としてくださいます。
ただ、「神の主権と人間の責任~神は人間の自由意志や責任を侵害しない~」で解説した通り、神の働きはわたしたちの意志や責任を不要にはしません。
そして、「奇跡~自然法則を造った方はそれを超えることも可能~」で触れたように、神は通常、手段を通して働きます。
たとえば、神はわたしたちに働くことのできる健康と能力を与え、わたしたちの労働を通して、わたしたちを養ってくださるのです。
ですから、神がいつでも奇跡を起こしてわたしたちの生活を支えてくださらないならおかしいと考えるのは、聖書の教えていることではありません。
神の摂理を信じるわたしたちは、神がわたしたちの勤労を祝福してわたしたちの家族の必要を満たしてくださるように祈り、怠けることなく働くのです。
そして、神がわたしたちを通してわたしたちと家族の必要を与えてくださったときは、わたしたちを支えてくださる神に感謝の祈りをささげるのです。
しかし、神は普通の手段を超えて働くこともできます。
もしわたしたちが通常の手段を使ってもどうにもならないときは、絶望せず、なお希望を抱きましょう。
神は通常の手段を超えて助けることができるからです。
神は他の人々を通して、あるいは特別な手段を使って、わたしたちを助けられるのです。
神のお考えが分からずに苦しむときは、十字架を見上げましょう!
人間には創造主がお考えになっていることを完全に把握(はあく)することはできません。
なぜ?どうして?
と思うことがわたしたちの人生とこの世界には起こります。
自分個人が願っていたことと違う状況になることがあり。誰も想定していなかった事態がこの世界に生じることもあるのです。
しかしそんなときこそ、イエスの十字架を見上げましょう。
神は一番大切なイエスを犠牲とするほどにわたしたちを愛しています。
わたしたちは神の愛を信頼することができるのです。
まとめ:父なる神の摂理を信頼して生きてゆきましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。いかがでしたか。
この記事では、
- 神の摂理の意味
- 摂理は英語でなんて言うのか?】
- 神の摂理(保持、統治、奇跡)
- 神の摂理のゴールとは?
- イエス・キリストの父なる神の摂理~わたしたちを愛するお方の摂理~
- 神の摂理をどのように受け止めたらいいか?
について解説してきました。
神の摂理とは何かがおおまかにお分かりいただけたことでしょう。
神の摂理(英:Providence)は、
- 神がご自分の造った世界と人間を保持し、統治することです。
- 神は100%主権を持っていますが、人間の意志と責任が100%残る仕方で働きます。
- 自然法則を造った神にはそれを超える超自然的な奇跡を行なうこともできます。
- しかし神は、通常、手段を通して働くのです。
- 摂理のゴールは終末の神の国の完成です。
- 神の摂理はイエス・キリストの父なる神の摂理であるため、恐れず信頼できます。
- 神の摂理を信じる人は祈りつつ労働に励み、どんなときにも希望を失いません。
愛に満ちた創造主が万事を益としてくださることを信じて生きる人生は本当に心強く、幸せな歩みです。
あなたもイエスを救い主と信じて、父なる神に愛され、導かれる祝福された人生を送りませんか?
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