キリスト教の祈りの特徴って、何ですか?
お祈りの最後の『アーメン』の意味も気になっています。
こんな疑問にお答えします。
✔本記事の内容
- キリスト教の祈りの特徴について
- 『アーメン』の意味とは?
✔本記事の信頼性
- 筆者は、クリスチャン歴40年以上
- 約20年間の牧師としての経歴
- キリスト教の主な著作を読んで得た知識
この記事を読むと、キリスト教の祈りの特徴がはっきりと分かります。
カンタンに解説しますので、ぜひ、最後までご覧ください。
キリスト教の祈りの3つの特徴
キリスト教の祈りの特徴は、以下の3点にざっくりとまとめられます。
- この世界と人間の創造主、ただ一人の神が祈りの対象。
- 救い主イエス・キリストの名前によって祈る。
- 祈りをアーメンという言葉で終える。
それぞれの特徴を解説していきます。
キリスト教の祈りの特徴① 創造主が祈りの明確な対象である
クリスチャンの祈りの第1の特徴は、創造主である神が祈りの明確な対象であることです。
神に祈りをささげるなんて、当たり前じゃないの?
と思われるかもしれません。
ただ、日本では伝統的に祈りの対象は明確に意識されてはきませんでした。
むしろ、祈る側の信心が重視されてきました。
例を二つあげましょう。
① なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる。
西行法師が伊勢神宮へ参拝した時に読んだ歌で、「どなたがいらっしゃるかはわかりませんが、ただありがたくて涙がこぼれてきます。」という意味です。
日本人の信心深さを美しく表しており、日本人の信心の典型的な表現だと言われています。
②「鰯(いわし)の頭も信心から」
このことわざは、「イワシの頭のようなつまらないものも、信じている人にとってはありがたいもの」という意味です。
どんなものであっても、信心次第で価値があるように思えてくるということです。
このことわざは、あまりよい意味で使われないため、使用するときは気をつけましょう。
さて、①の西行法師の歌では、信心や祈りの明確な対象が定まっていません。
②のことわざでは、祈りの対象自体が本来価値を持っているのではなく、祈る側の信心次第で価値があるように思えてくるということでした。
この2点がキリスト教の祈りとは決定的に異なります。
キリスト教では、
① 永遠の神、ただ一人の創造主が、この世界とそこに生きる人間、あらゆる生き物を造ったと教えています。この方だけが祈りの明確な対象です。
②人間次第で価値を持つ対象にではなく、最も愛と力と知恵に満ちた神、永遠に無限の価値のあるお方に祈りをささげます。
祈るときに最も重要なのは、祈りの対象である愛に満ちた創造主なのです!
キリスト教の祈りの特徴② イエス・キリストの名前によって祈る
クリスチャンの祈りの第2の特徴は、救い主イエス・キリストの名前を通して祈ることです。
どうしてイエスの名前で祈るんですか?
なぜわたしたちがイエスの名前で祈る必要があるのかを理解するためには、聖書の神のきよさと人間の罪について知る必要があります。
聖書の神は、聖なる神です。
神は自分に似せて、人間を良い存在に造りました。
しかし最初の先祖アダムが神に背いて罪へと堕落してから、わたしたち人間は心の中でよくないことを思ったり、人を傷つけるような言葉を口にしたり、実際に時々、よくないこともしてしまいます。
普通わたしたちは、自分を良い人だと思っています。
他の人たちと比べて、自分は特に悪いことをしたわけでもなく、ナチスのヒットラーや凶悪犯罪者などとは違うと考えているのです。
ただ、一週間の間に自分が心の中で思ったことがスクリーンに映し出されたら、
二度と人前に出れない。
と思うぐらい、恥ずかしく感じるのではないでしょうか?
さらに、わたしたちは生まれつき、創造主を無視して生きています。
矢が的を外して飛んでいくような状態です。
聖書は、こういった状態を「罪(つみ)」と呼んでいます。
この罪が聖なる神とわたしたちの間を隔(へだ)てているのです。
しかし神は、それでもなおわたしたちを愛して、わたしたちが罪とその結果から救われるように、自分の子を救い主イエスとしてこの世に送りました。
神の子イエスは、わたしたちの罪を身代わりに背負って十字架の上で罪の罰を受けて死ぬことによって、わたしたちと神とを結ぶ架け橋となってくれました。
今やイエスを通してわたしたちは再び神と交流できるようになったのです。
わたしたちがイエス・キリストの名前を通して神に祈るのは、救い主イエス・キリストのおかげでわたしたちはもう一度創造主と親しく交流できるようになったからなのです。
ちなみに、聖書の世界では、名前はその名を付けられた人の性格や性質、そしてその人自身を表します。
つまり、イエスの名によって祈るというのは、わたしたちが救い主イエスを通して神に祈るということなのです。
人間は年齢や性別、社会的地位や才能、財産、人種、民族、国籍にかかわらず、聖なる神の前では等しく罪のある存在です。
しかし同時に、あらゆる違いにもかかわらず、みんな等しく、救い主イエスによって罪から救われて天国に行けます。
イエスの十字架のおかげで、わたしたちの祈りは神に届き、聞かれると確信できるのです。
イエスは十字架にかかる前の夜、弟子たちにこのように約束しました。
23: よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。
24: 今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。 (ヨハネによる福音書16:24)
わたしには聖なる神に祈りを聞いてもらう資格なんてないし、祈りが聞かれる確信も持てない・・・。
大丈夫です!
わたしたちが神に祈るのは、神の子、救い主イエスを通してです。
イエスの名前によってささげる祈りは、必ず神に聞かれるのです!
神の子イエスが、そう約束していますから、大胆に祈りましょう!
キリスト教の祈りの特徴③ 祈りをアーメンで終える
クリスチャンの祈りの第3の特徴は、アーメンという言葉で祈りを終えることです。
『アーメン』って、どんな意味なんですか?
アーメンは、「まことに」という意味を持つヘブライ語です。
祈りの終わりでは、二重の意味で使われます。
①今祈ったことは、「まことに」わたしの本心です。
②祈りが聞かれることを「まことに」確信します。
イエスの十字架によって、わたしたちと神の間を断絶していた罪の問題は取り除かれました。
わたしたちはイエスの名前で祈り、創造主にわたしたちの心を打ち明けて祈ることができます。
そして、わたしたちがイエスの名前で祈った願いは、必ず聞かれると確信できるのです。
イエスを抜きにしては、神への祈りの最後に「アーメン」とは、絶対に言えません。
しかし救い主イエスを信じ、イエスの名前で祈るなら、わたしたちは心から「アーメン(この祈りはまことに聞かれると確信します)」と言えるのです。
まとめ:イエスの御名で大胆に祈りましょう!
最後までお読みくださり、ありがとうございました。いかがでしたか。
この記事では、
- キリスト教の祈りの特徴① 創造主が祈りの明確な対象である
- キリスト教の祈りの特徴② イエス・キリストの名前によって祈る
- キリスト教の祈りの特徴③ 祈りをアーメンで終える
について解説してきました。
キリスト教の祈りの特徴について、ざっくりとお分かりいただけたことでしょう。
キリスト教の祈りは、
- この世界と人間をお造りになった、ただ一人の創造主を明確な対象としており、
- 救い主イエス・キリストの名前によってだけささげられ、
- 必ず聞かれる確信を心に抱いて、アーメン(まことに)と力強く終えるのです。
神の子イエスは、あなたやわたしを愛し、罪から救うために十字架で命を捨てました。
そして、イエスはわたしたちがイエスを信じ、イエスの名前で創造主に祈るようにと招いています。
神の子イエスの素晴らしい愛と救いを受け入れ、イエスの名前で大胆に祈っていきましょう!
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