主の祈りって、何ですか?
どんな意味があるかをわかりやすく教えてください。
こんな疑問にお答えします。
✔本記事の内容
- 主の祈りとは何か?
- 主の祈りの全文を日本語と英語で紹介
- 主の祈りの内容
- 主の祈りの意味を解説
✔本記事の信頼性
- 筆者は、クリスチャン歴40年以上
- 約20年間の牧師としての経歴
- キリスト教の主な著作を読んで得た知識
この記事を読むと、主の祈りとは何かがざっくりと分かります。
カンタンに解説しますので、ぜひ、最後までご覧ください。
主の祈りとは何か?
結論からお伝えすると、主の祈りとは、イエス・キリストが弟子たちに教えた祈りです。
有名な山上の説教の中で、イエス・キリストは弟子たちにどうやって祈ったらいいのかを教えました。
そして、その続きのマタイの福音書6:9〜13で、主の祈りを弟子たちに教えたのです。
9: だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
10: 御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
11: わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
12: わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。
13: わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。 (マタイによる福音書6:9-13)
そもそも、主の祈りの「主」って、何ですか?
主の祈りの「主」は、イエス・キリストのことです。
イエスの弟子たち(クリスチャン)は、イエスのことを旧約聖書に登場する「主なる神」が人になった方と信じているため、「主イエス・キリスト」と呼んでいるのです。
キリスト教会は約2000年間、主の祈りを大切にしてきました。
そして、礼拝のときにクリスチャンたちは主の祈りをいっしょに唱えてきました。
主の祈りを共に唱えるのは素晴らしいことです。
ただ、主イエス・キリストが主の祈りを弟子たちに教えた本来の目的は、どのように祈ったらよいのかを弟子たちに教えるためでした。
主の祈りはわたしたちに祈りを教える「祈りの手本、型」なのです。
ですから、主の祈りの豊かな意味について学んで、その手本や型に沿って自分自身の祈りの生活を豊かにしてゆき、神に祈ってゆきましょう。
主の祈り(Lord’s Prayer)の全文を英語と日本語で紹介
主の祈りを日本語と英語でご紹介します。
カトリックとプロテスタントは別の翻訳を使用していますが、当然、意味は変わりません。
主の祈りは映画やドラマなどで時々唱えられるシーンがあるため、ご存じの方もいるでしょう。
主の祈り 動画
主の祈りの内容~神中心の祈り~
主の祈りの内容は、神中心の祈りとなっていて、これこそが主の祈りの最大の特徴です。
最初の呼びかけ「天にまします我らの父よ」から、最後の「国と力と栄えとは、かぎりなくなんじのものなればなり、アーメン」まで、主の祈りの全体を貫いているのは、天にいる神がこの世界のすべてを治めている神中心の世界観です。
そして、最初の呼びかけと祈りの結びの部分を別にすれば、主の祈りは6つの願いから構成されており、ここにも主の祈りの神中心の特徴が見出せます。
主の祈りの6つの願いは前半の3つと後半の3つに分けられますが、第1〜3の願いは神の栄光のための祈り、第4〜6の願いはわたしたちの必要のための祈りとなっているのです。
祈りって、わたしたちの必要を神に伝えて、願いをかなえてもらうことでしょ?
ほとんどすべての人がそう思っているでしょう。
え?祈りって、自分の願いを言う以外に何があるの?
と思う方も少なくないでしょう。
しかし主の祈りは、生まれつきのわたしたちの傾向とは正反対に、わたしたちの必要だけではなく、神の栄光のためにも願います。
しかも、まず神の栄光のために願って、その後でわたしたちの必要のために願うという明確な順序・流れとなっているのです。
神を優先順位の第一にして祈る理由は、主の祈りがイエスを信じる弟子たち(クリスチャン)の祈りであるためです。
イエス・キリストが自分を罪から救うためにこの世に来た神の子、救い主と信じるクリスチャンは、天の神に罪ゆるされ、神の養子に迎えられ、神の永遠のロイヤルファミリーの一員に加えられています。
日々、天の父である神に愛され、神に守り、導かれて生きています。
つまり、「天にまします我らの父よ」と祈るとき、天の父に愛されている子どもとして生きる平安と喜びと希望をすでに経験している者として、クリスチャンは祈るのです。
ですから、クリスチャンは、救い主イエスを送って自分を罪から救ってくださり、神の家族の一員にしてくれた天の父に感謝しつつ、天の父の「御名(みな)」がすべての人にあがめられ、「御国(みくに)」がこの世に来て、「みこころ」が地上で行われるように、神の栄光のために祈るのです。
しかもクリスチャンは、天の父に愛され、保護されて生きる人生を現在進行形で体験しているため、自分と他の人々にとって、天の父である神の「御名(みな)」があがめられ、天の父の愛と恵みと救いの「御国(みくに)」がこの世に来て、「みこころ」が地上で行われるほど素晴らしいことはないと、心から確信して祈ります。
主の祈りの意味の解説
主の祈りの呼びかけ、6つの願い、結びまでを解説いたします。
呼びかけ 「天にまします我らの父よ。」
イエスは天の神を父と呼び、弟子たちにも神を父と呼ぶように教えました。
イエスは天の神に「アバ」と呼びかけましたが、「アバ」はイエスが日常生活で使用していたアラム語では、子どもが親に親しく呼びかけるときに使う言葉でした。
神は正体のよく分からない超越的な絶対者ではなく、愛に満ちた天の父なのです。
人間の親が自分の子どもを愛し、子どもの必要を考えるように、天の父はわたしたちの必要に関心を持っていてくださいます。
子どもが親を信頼するように、わたしたちは天の父の愛と保護を信頼して祈っていいと、イエスは教えたのです。
わたしたちが神に祈るとき、何とかして自分の方を向いてもらおう、関心を持ってもらおうと、一生懸命に努力しなくていいのです。
天の父はわたしたちが願う前からわたしたちの必要をご存じである程に、わたしたちを愛し、私たちの必要に関心を抱いていてくださいます。
愛に満ちた天の父を信頼して祈れるのは、本当に幸せなことですね。
第1の願い 「ねがわくは御名〔みな〕をあがめさせたまえ。」
「御名(みな)」とは、名前のことです。
聖書の世界では、名前はその名を付けられた人を識別する単なるラベルのようなものではなく、その人の性格や本質を表しています。
神の名も神の性質を表し、神ご自身のことを指します。
ですから、「御名をあがめさせたまえ」は、神の名、つまり、神ご自身が礼拝され、賛美や祈りがささげられるようにしてくださいという願いであるのです。
聖書の教える神は、全宇宙の創造主、救い主であり、わたしたち人間をはじめ、神が造った全ての生き物の賛美を受けるに値するお方です。
神に創造され、生かされているわたしたちには、神に感謝する理由が限りなくあります。
何より、救い主イエスによって罪から救っていただけることを喜び、感謝したいですね。
第2の願い 「御国〔みくに〕を来たらせたまえ。」
「御国(みくに)」とは、神の国のことです。
目には見えなくても、創造主は自分が造った世界を今も治めています。
そして、約2000年前、天の神は救い主イエスをこの世に送って、愛と救いのご支配を開始しました。
イエスを神の子、救い主と信じる人は、罪ゆるされ、神の愛のご支配の中で今も永遠に生きる者となっています。
神の救いのご支配は、イエスが登場して以来、国境や民族の壁を超えて広がり続け、今や世界人口の約3分の1がクリスチャン、つまり、神の国の市民となっています。
クリスチャンは神の愛と救いの素晴らしさを味わっていますから、神の恵み深いご支配がますます広がり、一人でも多くの方が神の愛と救いを経験できるように願うのです。
復活して天に帰ったイエスが神の国を完成するために再びこの世に来ると、聖書は約束しています。
イエスが力と栄光に満ちてこの世界に戻って来て、神の国を完成させ、この世の罪と悲惨、苦しみ、悲しみに終止符を打ってくださる日を待ち望みながら、祈っていきたいですね。
第3の願い 「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。」
「みこころ」とは、神の心のことです。
天で天使たちが神の心に従っているように、地上にいるわたしたちも神の愛の心を反映するような生き方ができますようにという願いであるのです。
わたしたちがみんな知っているように、残念ながら、この世界には国家レベルの争いや民族間の紛争をはじめ、職場、家庭内の人間関係でのハラスメントや虐待、不和などまで、争いが絶えません。
神の愛を映(うつ)し出すような世界は、平和で、安心できて、本当に理想的な世界です。
いつか救い主イエスがもう一度戻って来ると、神の愛がすべてをおおう時が来ると、聖書は約束しています。
神の心を実現するために、わたしたちも愛を実践し、神の愛と救いをまだ知らない方々に救い主イエスのことを伝えていきましょう。
第4の願い 「我らの日用の糧〔かて〕を、今日〔きょう〕も与えたまえ。」
わたしたちが生きていくのに必要な食べ物を与えてくださるように願いなさいと、イエスは教えました。
人間の魂だけではなく身体もお造りになった創造主は、わたしたちが生きていくためにはパンが必要なことを知っているのです。
イエスが伝えた天の父である神は、わたしたちの衣食住のことまで気にかけていてくださいます。
神を信じ、神に従って生きていくために必要なものは何でも、わたしたちは祈ってよいのです。
わたしたちを愛してやまない父である神は、わたしたちの願ったことが本当にわたしたちの益になるなら、ベストなタイミングで、一番良い形・方法で、わたしたちの願いをかなえてくださいます。
神は、通常、わたしたちの勤勉な労働を通してわたしたちを養ってくださいます(それが困難な場合には、神は別の手段を用います)。
自分が働いているのだとしても、働く力や健康自体も神が与えてくださるプレゼントなのです。
第5の願い 「我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。」
わたしたちの身体の健康に日々の食べ物が不可欠であるように、わたしたちの魂の健康には日々の罪のゆるしが必要です。
イエスが十字架の上でわたしたちの身代わりに罪の罰を受けてくださったおかげで、神はわたしたちの罪を一方的にゆるしてくれます。
ですから、わたしたちが思いと言葉と行いにおいて犯す罪を神の前に告白し、霊的な健康を取り戻しましょう。
さて、神の恵み、イエスの愛によってゆるされた者として、わたしたちは他の人が自分に犯した罪をゆるすことを求められています。
他の人の罪をゆるすと、「損をする」ように思うかもしれません。
しかし実は、わたしたちが神に対して犯した罪は、他の人がわたしたちに対して犯した過ちや罪よりもはるかに重いのです。
それにもかかわらず、神はわたしたちの罪をゆるすために、自分の子を救い主としてこの世に送り、わたしたちの身代わりに十字架につけてくださったのです。
神の一方的な愛によってゆるされた者として、わたしたちは神の愛とゆるしを体現することを求められています。
第6の願い 「我らをこころみにあわせず、悪より救い出〔いだ〕したまえ。」
「悪」は、もっと正確に言えば、「悪魔」のことです。
全ての罪や悪の背後には悪魔が立っていると、聖書は教えています(もちろん、人間の犯す罪や悪は、その罪を犯す人自身に道徳的な責任があります)。
西洋絵画に描かれているような角や羽やしっぽが生えた悪魔は存在しませんが、わたしたち人間を誘惑し、創造主から引き離して破滅させようと企(くわだ)てる本当の悪魔は存在しているのです。
ですから、イエスは悪魔の「こころみ」、つまり、誘惑から救い出されるように祈りなさいと、弟子たちに教えたのです。
イエスを信じるクリスチャンも、人生の試練を経験します。
しかし天の父である神は、厳しい状況を通して、クリスチャンの信仰を訓練するので、試練は必ずしも悪いものではありません。
ただ、神が試練を通してわたしたちに益を与えようとするのと対照的に、悪魔は試練を通してわたしたちが神の存在や愛を疑い、神を信頼することをやめるように誘惑してくるのです。
ですから、悪魔の誘惑から守られるように、こころみられるときには救い出してくれるように、誘惑に屈しない力を与えてくれるように祈りなさいと、イエスは弟子たちに教えたのです。
幸いなことに、聖書の世界観では、悪魔すらも天の父なる神のご支配の下にあります。
そして、神の子イエスは十字架にかかったとき、悪魔に大打撃を与えました。
試練にあうとき、悪魔に誘惑されて神の存在や愛を疑い、信仰から離れてしまうのではなく、かえって信仰が訓練され、神にますます近づけられるように祈りましょう。
結び 「国と力と栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。アーメン。」
この結びの言葉は、新約聖書の中に記録されている主の祈りにはふくまれていません。
イエスが教えた主の祈りには元々なかった言葉なのです。
クリスチャンたちが主の祈りを祈っているうちに、いつしかこの結びの言葉をふくめて祈るようになっていきました。
結びの言葉は、聖書の教えとも一致しています。
- 目には見えなくても、創造主である神はこの世界を今も治めており、「国と力と栄え」は永遠に限りなく神のものです。
- そして、創造主であり、救い主である神は、「国と力と栄え」を受けるにふさわしいお方でもあります。
主の祈りを祈るとき、天の父である神の愛に感謝し、全ての栄光を神にささげ、賛美して、この結びの言葉を祈りましょう。
「アーメン」は、「まことに」という意味のヘブライ語です。
自分がささげる祈りが「まことに」自分の本心からの願いであること、「まことに」神に聞かれることを確信していることを表して、「アーメン」と言うのです。
主の祈りの結びの言葉は、元々の主の祈りにはありませんでしたが、まさに主の祈りをしめくくるにふさわしい言葉として、約2000年間、クリスチャンたちに祈られてきました。
まとめ:主の祈りを祈って、キリスト教の祈りの世界を経験しましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。いかがでしたか。
この記事では、
- 主の祈りとは何か?
- 主の祈りの全文を日本語と英語で紹介
- 主の祈りの内容
- 主の祈りの意味を解説
について解説してきました。
主の祈りは、
- 主イエス・キリストがどうやって祈ったらいいのかを弟子たちに教えるために与えた「祈りの手本、型」です。
- 神に「父」と呼びかけるところにユニークな点があります。
- 神中心の祈りであり、第1〜3の願いで神の栄光を願ってから、第4〜6の願いでわたしたちの必要を願うところに最大の特徴があります。
主の祈りにはキリスト教のエッセンスがつまっているので、ぜひ、主の祈りを実際に祈って、キリスト教の祈りの世界を経験してみてください。
キリスト教会の礼拝に実際に出席して、主の祈りを他の方々といっしょに唱えてみたい方は、お問い合わせフォームから連絡していただければ、いっしょにお近くの教会を探すこともできます。
「天にまします『我らの』父よ」という呼びかけの言葉からわかるように、主の祈りは「わたし一人」の祈りを超えて、「わたしたち」の祈りです。
教会の礼拝に参加して、そこに集まった方々といっしょに主の祈りをささげてみることをおすすめします。
教会探しに助けが必要なら、遠慮なくご連絡くださいね。
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