キリスト教の祈り方を教えてください。
キリスト教では、どうやって祈るんですか?
こんな疑問にお答えします。
✔本記事の内容
- 世界的に有名な祈りのフォ―マット『ACTS』に沿って、キリスト教の祈り方を解説
✔本記事の信頼性
- 筆者は、クリスチャン歴40年以上
- 約20年間の牧師としての経歴
- キリスト教の主な著作を読んで得た知識
この記事を読むと、キリスト教の祈り方がざっくりと分かります。
カンタンに解説しますので、ぜひ、最後までご覧ください。
動画版もあるので、聞いて学びたい人はこちらをどうぞ!
キリスト教の祈り方をわかりやすく解説【ACTSの祈りの紹介】
初心者向けの祈りの手引きとして世界中で使用されている『ACTS(アクツ)の祈り』をご紹介します。
ACTSは、
A Adoration(アドレイション)賛美(さんび)
C Confession(コンフェッション)罪(つみ)の告白
T Thanksgiving(サンクスギヴィング)感謝
S Supplication(サプリケイション)嘆願(たんがん)
の頭文字を並べたものです。
ACTSには、キリスト教の祈りに必須(ひっす)の4つの要素(賛美、罪の告白、感謝、嘆願)がふくまれています。
そして、ACTSの順番にも意味があります。
まず偉大な創造主であり、救い主である神をたたえましょう!
神の前に出ると自分の罪が分かり、罪を告白する絶好の機会となります↓↓
自分の罪を神の前で認めて、その罪を告白し、神のゆるしを求めましょう。
救い主イエスの十字架の犠牲によって罪をゆるしてくれる神への感謝にあふれます↓↓
神がわたしたちのためにしてくれたあらゆる素晴らしい働きのために感謝しましょう。
神の愛と恵みに感謝した後、わたしたちは神に心から願いを言えるようになります↓↓
自分自身や他の人々のために神に願いましょう。
ACTSの祈りのフォ―マットの流れに沿って祈ってゆけば、キリスト教の祈りにじょじょに親しんでゆけます。
キリスト教の祈りに慣れてきた段階で、聖書や他のクリスチャンの祈りから学んだ要素なども加えてゆき、自分なりの祈りの形を造ってゆくとよいでしょう。
それでは、ACTSの4つの要素を解説していきましょう。
A Adoration(アドレイション)賛美(さんび)
神に祈るとき、わたしたちは自分が直面している状況や困難な問題だけに心が集中してしまい、願いばかりの祈りをささげる傾向があります。
Adoration(賛美)、Confession(罪の告白)、Thanksgiving(感謝)、Supplication(嘆願)の順番で祈るのではなく、正反対に嘆願からスタートし、・・・嘆願だけで終わってしまうこともあるのです!
しかしあえてACTSの流れで祈り始めると、わたしたちはある大切なことに気づきます。
わたしたちが祈りをささげる神は、
①この世界とその中の生きとし生けるもの全ての偉大な創造主であり、
②わたしたち自身をはるかに超えた、全知全能の、最も愛と知恵に満ちた神で、
③当然、現在わたしたちが抱え、頭を悩ましている問題よりもはるかに大きい存在である
ということです。
この気づきは極めて重要と言えます!
なぜなら、神の偉大さを意識した瞬間に、わたしたちの心はラクになるからです。
こんな偉大な神がわたしの味方で、祈りを聞いてくれるなら、きっと何とかなる!
神にすぐに願いをささげてラクになりたいとわたしたちは思うのですが、実は逆にACTSの通りに偉大な創造主を賛美することから始めた方が心がラクになるのです!
神の偉大さを賛美し、(実際に神は偉大なお方ですが)わたしたちの心の中でも神を偉大なお方にすればするほど、厳しい状況の中でちぢこまってしまい、傷ついていたわたしたちの心も、もう一度広がり、癒(いや)されていきます。
わたしたちの心の中で神が大きくなればなるほど、わたしたちを圧倒していた状況や問題はわたしたちの心の中で小さくなってゆき、
大丈夫。必ず何とかなる!
と思えるようになってゆくのです。
神を賛美するのは、神に造られた被造物(ひぞうぶつ)の義務であり、神は実際にわたしたちの賛美を受けるにふさわしい最高に価値のあるお方ですが、神を賛美することがわたしたちの心にもたらす効力は計り知れません!
祈るとき、まず神に心の目を向け、神の素晴らしさを思って賛美し、礼拝すると、わたしたちは抱えている困難や問題から自由にされてゆき、心に再び希望が満ちあふれてくるのです。
C Confession(コンフェッション)罪(つみ)の告白
偉大な創造主を意識して祈るとき、わたしたちは偉大な神の前にいる自分自身の小ささ、弱さを意識するでしょう。
聖書の神は聖なる神であり、正しいお方でもあります。
わたしたちはきよい神の前にいる自分自身の罪も自覚させられます。
しかしこれは、決して悪いことではありません。
わたしたちが自分自身の罪を認め、告白して、罪の赦しを経験する良い機会であるからです。
普段意識することはあまりないかもしれませんが、実は罪の意識、罪悪感、良心の痛みは、わたしたちの心をむしばみ、圧迫し、苦しめています。
神に心を打ち明け、自分の罪を告白することで、わたしたちは心の重荷から解放されるのです。
神は聖なる方ですが、何よりも愛に満ちたお方ですから、わたしたちが罪とその罰のために永遠に滅びることがないように、自分の子どもを救い主イエスとしてこの世に送ってくれました。
そして、神の子、救い主イエスは、聖なる神とわたしたちの間を隔(へだ)てていた罪を全部背負い、十字架の上でわたしたちの身代わりに罪の罰を受けて死んでくれました。
イエスの十字架の犠牲のおかげで、わたしたちが自分の罪を打ち明けるなら、神はこころよくわたしたちの罪をゆるしてくださるのです。
わたしたちは罪がゆるされ、罪の重荷から解き放たれた自由と喜びを経験して生きてゆけるのです!
ぜひ、罪の告白も省略せずに行ってみてください。
他の人に自分のことをさらけ出すのは恥ずかしくて、とてもできないことかもしれません。
しかし神は、元々、全てのことを知っています。
誰も神の目から自分を隠すことはできません。
わたしたちが誰にも知られたくないと思っている心の思い、人を傷つけてしまった言葉、自分が思い出しても恥ずかしくて自己嫌悪してしまうようなことも、神は全部知っています。
それでも、神はそんなありのままのわたしたちを愛して、罪から救うために、自分の子どもをこの世に送り、十字架の上でわたしたちの身代わりに死なせてくださいました。
神の子イエスは、弱い部分も醜い部分もあるわたしたちを愛して、わたしたちを罪から救うために自ら進んでわたしたちの身代わりに死ぬことを選んでくださったのです。
ここまでしてくれた神と神の子イエスの前には、何も隠す必要はなく、全てを打ち明けてかまわないのです。
神はわたしたちをゆるし、受け入れてくれます。
イエスを信じて、神のもとに帰るときに、わたしたちは他のどんな人間関係でも経験できなかった完全なゆるしと受け入れられることを経験し、心がいやされるのです。
T Thanksgiving(サンクスギヴィング)感謝
「主に感謝せよ、主は恵みふかく、/そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と、
(詩篇107:1)
※「主」とは、聖書の神のことです。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。 (テサロニケ人への第一の手紙5:16-18)
罪のゆるしの感謝、そして神がわたしたちの生活で過去にしてくださったこと、今してくださっていることに感謝しましょう。
わたしたちの健康、家族、仕事、学べる機会、友人、趣味、お金、家、衣服などは全部、実は神がわたしたちに与えてくださったものです。
普段はほとんど意識しないかもしれませんが、神はわたしたちに本当に多くの素晴らしいものを与えてくださっています。
改めて神の愛と恵みの贈り物を数えてみましょう。
何も感謝することなんて、ないよ。
と思う方もいるかもしれません。
アメリカのある牧師がこんなことを言いました。
わたしたちは何でもすぐに当たり前と思ってしまって、感謝することを忘れてしまう傾向があります。
そして、持っていないものや足りないことに不満を抱くのです。
特に、わたしたちは何事もないときは、健康や家族や仕事を当たり前と思ってしまいがちです。
しかしわたしたちがその一つでも失ったなら、わたしたちは他の何を持っていなくても、足りなくても、健康や家族や仕事を取り戻したいと心から願うでしょう。
神はわたしたちが普段考えているよりも、ずっと豊かに与えてくださっているのです。
何も起こっていない、平穏無事なときに、神が与えてくれている素晴らしい贈り物に気づいて感謝できたら、たとえ状況自体は何も変わらなくても、わたしたちの心と生活は豊かになるでしょう。
あと、わたしたちは願うときには一生懸命に祈るのに、いざ神がその願いをかなえてくださったときには、感謝を忘れることがあります。
神が祈りを聞いてくださったら、ちゃんとそのことに感謝するようにしましょう。
神が与えてくれた最高の贈り物は、救い主イエスとその十字架の愛と救いです。
他の何があっても、なくても、わたしたちが神に永遠に感謝し続けるのに十分な理由なのです。
S Supplication(サプリケイション)嘆願(たんがん)
いよいよ神に願いをささげるときです。
神に自分の求めているものを打ち明け、願いましょう。
子どもが親を信頼するように、わたしたちは神が自分に必要なものを与えてくれることを信頼して祈ってよいのです。
祈りは「神とわたしたちの魂の会話」です。
神に個人的に、親しく願いを申し上げましょう。
そうしていいし、そうすべきでもあります。
聖書の言葉を通して、神がわたしたちを祈りに招いているからです。
ただ、自分だけのために祈るのではなく、家族、友人、イエスを信じる神の家族である教会の兄弟姉妹、世界の人々のために神に願いましょう。
わたしたちは賛美、罪の告白、感謝をわきへ置いておいて、願いから祈り始め、そして願いだけで祈りを終えてしまう傾向があると、すでに書きました。
同じように、わたしたちは自分の願いから口にし始めて、自分の願いばかりにフォーカスをあてて、そして自分の願いを言い終えたら、それで祈りを終えてしまいかねないところがあります。
祈りが自己中心的になってしまうのです。
疲れていたり、余裕のないときに、特にそうなってしまいがちです。
神はわたしたちが他の人たちのためにも願うことをお望みになっています。
わたしたちが神の心を尊重して他の人たちのためにも祈るとき、わたしたちの心は広がり、わたしたちの人生はさらに豊かになってゆくのです。
わたしたちが他の人たちのために創造主に祈ることは、わたしたちがその人たちにできる最高の愛の行いの一つでもあります。」
まとめ:お祈りはカンタン!まずはACTSに沿って、祈ってみましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。いかがでしたか。
この記事では、
- 国際的に広く使われている『ACTS』という祈りの形式に沿って、キリスト教の祈り方
を解説してきました。
どうやって祈ったらいいのかがお分かりいただけたことでしょう。
神の子、救い主イエスの十字架の愛と救いによって、聖なる神とわたしたちの間の罪の問題は解決され、わたしたちは創造主に祈ることができる特権を与えられました。
ですから、どうぞACTSの祈りの最後に、
「イエス・キリストの御名(みな、名前のこと)でお祈りします、アーメン」
と付け加えるのを忘れないようにしてください。
ちなみに「アーメン」は、「今ささげた祈りは自分の心からの願いであり、救い主イエスのおかげで自分の祈りが聞かれることを心から確信します」という意味です。
祈りは「魂の呼吸」と言われ、クリスチャンの健全な信仰生活に必要不可欠です。
そして、祈りは難しくありません。
ACTSの祈りの型に沿って実際に祈って、ぜひ、祈りの素晴らしさを経験してみてください。
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